見出し画像

『女性の生きづらさ その痛みを語る/こころの科学 SPECIAL ISSUE 2020』

(信田さよ子編・日本評論社)
 
私は基本的に男性である。女性の気持ちを分かっているなどとは言わないが、一定の理解はもっているつもりだった。だが、そんな甘いものではなかった。本書でそれを思い知らされた。だからまた言う。男性という立場にいる者は、本書を読まなければならない、と。
 
書かれてあることを一つひとつここで並べることは無理だ。母と娘という問題も、耳では聞くが、生活をしていく中でどれほどそれが軋轢となるケースがあることか。当事者でなければ分からない問題ではあるが、これを助ける必要があるという発想すら、男たちにはない。DVとなると、危害が加えられる事態ではあるが、それにも危機感がない。助けるべき立場の職業の男性が、暴力を振るう夫に居場所が知られるようなへまをなんと簡単にやってしまうことが多々聞かれることか。
 
介護をするのは女性であるという決めつけ。食を通じて現れる精神状態の不安定。こうしたことが、社会的制度や習慣の中で行われ、それが当たり前だという視点を、有利な男性が思い込み、決めている現状。それに気づかず、それを変える必要なしというような見解がまかり通ること。これらが全部、私男性たちのやっていることなのだという事実が、次々と突きつけられる。
 
本書は、様々な立場や情況における女性を追う。戦争や貧困という情況も考慮に入れるし、受刑者の現実をも教えてくれる。ケーススタディにより語られる実際の例に対して、言葉もない。だが言葉がないなどとして終わることはできない。ではどうするか。どうしなければならないか。気づきさえすれば、何か考え、何か決めて、動かなければならないのではないか。
 
とくに性暴力について、男性側の、そして司法制度までがそれに加担しての、不条理な現実と背景について暴いているものは、胸に釘を刺されるような思いすらした。そういう思いをしなければならないのだ。半世紀前には、電車内での痴漢はギャグでしかなかった。女性に原因があるなどと真顔で言われ、男たちはにやにや笑っていた。それが、やっていないのに冤罪を着せられた男性が現れた瞬間、男たちは鬼の首を取ったように、自分たちの正義を主張する。さらに、痴漢についてそれは病気のせいだという説が、実はますます男たちを狡くしていったとその論は突きつける。痴漢をしでかすのは病気のせいであり、その病気でない自分は無関係なのだ、と責任を回避することしか考えなくなっているからだ。
 
私たちは、どんな場面でも、忘れてはいけない。ほんのささやかな意見表明も、感情も、ある人にとっては厳しく追い詰めてくる「敵」の行為となり、狡く逃げるための方策となり、無責任な加害者となってしまうことが多々あるのだ。いまこのときにも、それをやらかしているかもしれない。いや、たぶんやっている。
 
男たちの理不尽な加害の中に、間違いなく私もいる。声を挙げなければ、また、挙げられた声を大切にすることがなければ、相変わらずただ追い詰めて苦しめている加害者でしかないのだ。
 
本書を女性が読むのは辛い場合があるかもしれないが、一致して声を挙げる力になるかもしれない。本書を男性が読むのは、きっとどうしても必要なことだ。関係者のこうした努力が、うやむやになってしまうとすれば、それもまた、本書が指摘している、男性側による握りつぶしにほかならないのだから、いっそう本書の指摘の真実を証拠立てることになるだろうと私は捉えている。まさにその加害者である私が偉そうに言う立場にはないのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?