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『中村哲 学習まんが世界の伝記NEXT』(ペシャワール会監修協力・集英社)

学習まんがであるから、小学生のためのものと見てよいだろうと思う。これを電車の中で読んだから、大変なことになった。涙が止まらないのである。そして鼻水も次々に出てくる。
 
子ども用だから、とても素直に描かれている。回りくどいことなく、スッと入ってくるように展開するし、いわば教育的につくられているのは当然である。醜いものを見せようとはせず、その他は子どもの想像力に任せるような、きれいな作品である。
 
でも、だからこそ、「くる」。私の感情を、一直線に刺し貫く。反射的に、涙が溢れる。私が幼稚だから、とも言えるだろうが、こういうときは、子どものようにならなければ神の国には入れない、というキリストの言葉を心に思い起こし、自分を慰めることにしている。
 
要するに、中村哲さんの生涯を描くものである。短い中で、しかもまんがという手段によって、よくまとめてくださった。128頁ではあるがA5サイズで紙は厚く、表紙はずいぶん丈夫なハードカバーである。いまどきは薄い新書でも千円を超えてくることを思うと、1100円+税とは、ずいぶんと価格を安く設定しているものと驚く。それはまた、子どもに手が届きやすいようにしている、とも考えられる。
 
中村哲さんは、福岡県の人である。祖母や父親から、なんと優れた教育を受けたのか、ということが、初めのところから描かれる。私はもうここで泣いた。弱い者を助けるんだぞ、と教えられる。祖父が営む「港湾荷役業」の労働者の手が汚れていることを口にした哲は、叱られる。真っ黒な手で働いてくれるから、自分たちは食べていけるのだ。国の発展もこの労働者たちの故なのだ。職業に貴賎はないということを、徹底的に教え込まれていたのである。
 
また、生き物の命を大切にすることも、よく教育されていた。こうして、将来中村哲さんが成し遂げることの基盤が、小さなときからあったことを置いておく。このときまた、本当に強い人間は、戦わないのだ、ということを、伯父の火野葦平から学んだエピソードも入れられている。逃げることなく、また戦わないというのは、いちばん勇気のいることなのだ、というその言葉は、確かに中村哲さんのポリシーを築くものであったことが分かる。
 
古賀に越してきて、昆虫について吉川さんという方に教えられる。それが、哲さんを昆虫研究を職業とするか、というところにまで引っ張ってゆくのであった。その後西南学院中学に入学。物語ではただ「ミッションスクール」とのみ呼ばれている。ここでもよい教育を受ける。内村鑑三の『後世への最大遺物』と出会い、洗礼を受けたことにも触れられている。
 
父が、世の中に役立つようになれ、ということを教えていたことから、昆虫でないなら、と九大の医学部に進む。精神科医となったことで、哲さんは人生について深く考えることにもなった。
 
山岳会の遠征隊に医師として参加したことで、アフガニスタンとパキスタンの現地に行ったことが、哲さんを大きく動かしてゆく。ここからの一つひとつの事業については、さすがにここでは紹介できない。銃撃による死の後、いろいろ報道されたことで、広く知られるようになったこともあるから、構わないであろう。
 
中村哲さんは、西南学院にいたせいもあり、バプテスト教会に属していた。時折帰国すると、福岡に戻り、福岡各地のバプテスト教会やその関係施設によく来ておられた。いま思えば、あのとき無理をしてでも、お会いすべきだったのだ。その機会は確かにあったのだから。
 
誰もやらない仕事だから、自分がやるのだ。明るく前向きに考える哲さんのことが、よく描かれている。次々と舞い降りる難題にも、まるで自分に出されたクイズに夢中になるように、哲さんは新たなことへも挑んでゆく。本書はペシャワール会が監修しているだけに、細かなエピソードまでもよく収録されており、子どもたちに分かりやすい話がたくさん含まれている。
 
現地の人々の信頼を得る過程や、キリスト教徒なのにイスラム教徒を助けることへの見解まで、よくぞというほどに描いてある。危険な目に遭いながらも、人々と共に、切り拓いてゆく様子は、そんなに簡単ではなかったはずなのだが、そこは子ども向けということでよいだろうと思うし、実際そのくらい、愛あるところに光があったのは本当だろうという気がする。
 
医療から始まった哲さんのはたらきは、いくら傷や病気の手当てをしても、それでは人が生きないことに気づかせる。水が必要なのだ。干魃の地域に井戸を掘る。水を流す。言葉で言えるほど簡単ではない。それを一つひとつ、現地の人手によって、生み出してゆく。
 
息子さんの死の場面がまた読んでいても辛いが、子どもの命を守るというはたらきの力へと、それは昇華してゆくのは、読者の心をきっと力づけることだろう。しかし、あの同時多発テロ事件が、困難を引き起こす。アメリカは確かに被害を受けた側だったが、その報復が、アフガニスタンに潜伏するグループに向けられた。そうなると、実行グループとは何ら関係のない人々が、攻撃対象に巻き込まれてゆく。哲さんは、日本の国会で訴える役割を担うが、政府は戦争に加担するような方向をとることになる。そこで、工事をする哲さんと人々に、米軍が攻撃をしてくるまでになる。
 
正義のため、平和のために攻撃するのだ、という建前でアメリカ側についていた日本は、哲さんに銃口を向けていたのだ。
 
福岡の山田堰を見て、その技術が使えると見出したエピソードは有名であるが、その後、モスクとイスラム教の学校を建てるという事業にも加わる。哲さんは、人はパンだけで生きるのではないことを深く覚る。
 
やがて取水技術を書いた本が、アフガニスタン大統領の目に留まり、国家的な協力も得られるようになった。が、運命の日がくる。
 
2019年12月4日である。残酷な場面はもちろん描かない。子どもたちにはそれで十分伝わるはずである。哲さんは、魂の姿であの丘にいまも立つ。その精神を受け継いだ人々が、いまも活動していることを告げて、物語は閉じられる。
 
なお、最後に、中村哲さんの活動が、SDGsの目標に実に適っていることを、一つひとつ例を挙げて検証する。ここが学習である。言われてみれば、確かにその通りだということに、今さらながら気づかされたことは、私にとっても学習であった。
 
中村哲さんは、小さな灯りとなるように教えられていたが、その灯りはいまも私たちを照らす。そして私たちを勇気づけている。
 
自分の生き方を思うと、恥ずかしくてたまらなくなってくるのであるが、小さな勇気は、確かに与えられた。灯が与えられたことも、分かった。哲さんが見上げていた天から、神はずっと光を当て続けていてくださったのだろう、というふうに想像させて戴くことにしよう。

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