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『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(神野潔・日本能率協会マネジメントセンター)

2024年4月から好評の、NHK朝の連続小説「虎に翼」は、三淵嘉子さんをモデルとしている。この朝ドラを見越して制作されたのだろうとは思うが、なかなか良質な本ができた。
 
著者は、日本法制史が専門。だから背景の事情などは熟知しているものの、三淵嘉子さんそのものの研究者ではない。それを思うと、様々な資料に当たり、またご親族との度重なる面会など、ずいぶんと労力をかけて執筆している様子が窺える。専門家ではないので、細かく見ていくと何か不備があるかもしれない。だが、ドラマを通じて法曹界に光が当たったこの機会に、こうして法律を仕事とすることについて考えさせてくれるというのは、悪くない。これは研究書ではないのだ。また、単に「売らんかな」の目的でやっているわけでもないだろう。法律について考えてほしい。特に、「女性」がどのように扱われていたのか、それはどうあるべきなのか、そこを問うているものとすれば、世間に投げかけるには恰好の場面なのだ。
 
著者は、自らがその意味での専門家でないことは告白している。また、「あとがき」の中ではあるが、自らの中にも、女性に対するマイクロアグレッションや差別感覚のようなものがあったのだ、という体験をも打ち明けている。これは大きいことだった。女性に権利らしい権利がなかった時代に法律を学び、女性裁判官の先駆者として歩んできた三淵嘉子さんが、どのような眼差しの中で活動してきたか、それを偉そうに書いたなどということでは全くないのだ、というわけである。著者自身がこのような姿勢でいたことを知らせてくれたのは、私はうれしかった。そこに誠実さを感じた。
 
本は最初のほうで、写真が何枚も紹介されている。1914年に生まれ、1984年に亡くなった方である。最近までいらしたのに、写真はかなり地味な印象を与えるが、確かに戦後間もなくこの道で活躍されたのだから、その様子を写すものは古いと言えるだろう。
 
日本女性初の女性弁護士・女性判事・女性裁判所長という肩書きからまず叙述は始まるが、その生涯をおもに二つに分けて提供したことを明らかにし、第3章では、三淵さんの周辺をとりまく人々を紹介する形で構成したことを告げる。
 
ドラマのモデルはどの人だろう、などという感覚ももってしまうが、ドラマはドラマである。両親が戦後すぐ同じ年に亡くなり、しかも母が先に亡くなっているなど、設定は大きく変えてある。嘉子の文字は、銀行関係の父親が赴任していたシンガポールで生まれたからだという。シンガポールは漢字表記だと「新嘉波」と書くからだ。教育的にはよい環境にあり、テレビの父親の育て方は史実とも近いような気がした。
 
裁判所で働く後半の中では、女性、女性、という取り上げ方自体にも反省が必要であるような雰囲気を醸し、それをやたら持ち上げるということが差別の心理を表してしまっているのではないか、と読者にも気づかせてくれるように見えた。
 
あちこちの資料から、その発言が適宜引用され、本人の声を運んでくれる。家庭裁判所長だったので、家庭というもの、夫婦というものについて、いろいろなケースと接し、いろいろと思うところもあったのだろう。働く母親の立場から、女性たちへの共感と痛みとをもちつつ、仕事をしていたように見受けられる。それでも当時、男性が育休をとるなどという育児形態に憧れをもちつつも、そんなことは日本でできないだろう、というような見方を垣間見せるところもあった。現実的でないことを振りかざすようなことはしなかった模様である。だが、亡くなって40年、時代の風はいくらかでも変わってきた。変わらないのは、年寄りの政治家だけなのかもしれないが、超高齢化社会となり、それなりの多数を占める人々が、古い常識を真理だと信じて止まないような世相なのかもしれない、とふと思った。
 
時代としては、男女平等が大きな課題であった。それで精一杯だっただろう。いまそれが、多様な性のあり方を認めるべき時代となり、男女だけで考察か済むのではなくなってきたが、それでもまだ男女の差が大きいのが実情である。世界的なランクでは最下位から数えたほうがずっと早いような有様では、三淵嘉子さんも、なおさら満足はしていなかったことだろう。それでも、日々目の前で繰り広げられる小さな争いや悩みと向き合い続けたその歩みを、私たちはまずドラマという形でもいいから、触れてよかった。しかし「よかった」で終わるのではなく、ここから誰もが始めなければならないのだ、ということも確かである。
 
人物紹介の最後を飾ったのが、渡辺道子さんであったが、この方はクリスチャンであった、と書かれている。日本YWCA(日本キリスト教女子青年会)理事長などを歴任した方である。三淵嘉子さんより一つ年下であるが、2010年まで存命であった。こうした方を紹介してくれたことも、少しだけうれしかった。

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