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3月という時期

新築マンションがある。高層マンションだと、同じ日に何家族も入居がなされる場合が予想される。前面の道に、トラックの行列ができるのだろうか。3月、そういう時期だ。業者もこの時期だけが特に大変なのだろう。アルバイトも雇うようだ。私のときがそうだった。社員が一人と、あとは指図を受けるばかりの若者が付き添っていた。力仕事をさせられる。それなりに実入りはいいのかもしれない。京都から福岡だと、一晩車を走らせたことになる。それを労い、私の父が寿司をとった。
 
他方、福岡から京都に行くときには、荷物は段ボール箱単位であった。食器など使い慣れたものも母が入れてくれた。そして春休みの数日、片付け整理もあって、母が下宿に泊まっていった。その段ボール箱が食卓にもなった。家具はできるだけ安いものを、生協で調達した。ライティングデスクは重宝した。さすがにそれはいまはここにはないが、金属ラックの書棚はいまここで役に立っている。収納数は抜群である。但し、その棚の前に山積みになった本がいま賑わっているから、本棚も無力な場合がある。
 
知らない土地で学生が住まいを探すのはたいへんだ。人生経験がない。悪徳業者が無知な学生を狙う可能性もある。大学側のサポートがあるとか、大学を通じてだとか、信頼できる仲立があるといい。学生課にはずいぶんお世話になった。最近は、昔よりさらに面倒見がよくなっているように見える。相談しない手はない。
 
京都は、学生を大切にしてくれるように思う。心の内では、田舎者と思っているのかもしれないが、それでも学生が京都の街から消えたら、経済的にもきついだろうし、若い力が何かと動いてくれるから、行事もまわるというのは本当だ。時代祭の行列のアルバイトも学生主体ではないだろうか。
 
春のこの時期、ラジオからは、卒業の定番曲がどこからも聞こえてくる。クリスマス・ソングと卒業ソングは、当たれば長く歌い続けてもらえるメリットがある。学校だけでなく、職場においても、転勤もあれば、就職もある。新年度は新しい門出となる。別れがあり、出会いを待つことになるだろう。緊張が走るのは当然である。役所も手続きで忙しいに違いない。近年の電子化は、そうした労力を軽減してくれるものと期待できる。だが、やはり「ひと」とのつながりや関係なしでは、生きていけない、と考えたほうがよさそうだ。
 
京都でも、たとえば新聞集金の方にお世話になった。その下宿を出て行くときも、私のことは印象的だった、というようなことを漏らしてくれた。それなりの挨拶をして、丁寧な対応をしていたら、なんらかのものが返ってくるものである。新たな扉を開いて、次の世界に出ていくときには、不安も伴うことだろうが、あまりにお人好しでない程度に、誠実な対応をしていくことが望ましい。
 
もちろん、そうした世間知らずの学生を狙う輩もいる。尤もらしい団体の名を出して、キーホルダーやハンカチなどを見せて、募金だの寄付だのと称して訪ねてくる、あの宗教団体もあった。それのごく一部を実際に福祉に寄付はするが、大部分は韓国に送られていることは明白であった。四条烏丸にビデオセンターを陣取って、アンケートと言って近づいてくることもあった。だからといって、あらゆる人の厚意を軽んじてよいわけがない。何事もまた、社会勉強であった。経験にまさる学習はない。
 
春、心配もあろうが、それ以上に希望のスタートが切れたらよい、と願う。お読みのあなたに、あなたの周りの方々に。
 
震災の痛みが疼く方々の心にも、できるなら、春の風がそよ吹いてきてほしい。こちらではもう菜の花が、その風に揺れている。

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