【毒親日記】毒親は気分で否定する

はじめに

※こちらのマガジンにて追記更新していますので、ご覧くださると励みになります。


話すことが二転三転する

続きです。
ざっくり言うと、「実家に暮らしているのに食費や光熱費、生活費も払うのは厳しい」「教科書も新品を変えず200円の古本で済ませている」なども伝えてみました。

奨学金とアルバイトの掛け持ちだけではどうしようもなくなり、親に交渉してみました。無駄だとは分かっていましたが…

「お前はもう大学生でアルバイトもしてんだから、一人暮らしだってできるはずだろ。実家暮らしだからって甘えんな馬鹿が」と吐き捨てられました。

やっぱりか~仕方ない。
言うだけ言った自分、えらいぞと思うことにしました。



一貫性がない

つい最近まで
「お前みたいな奴が一人暮らしなんかできるわけねぇだろ」
「私がいねぇと何もできねぇくせに」
「一人暮らしの費用だってお前が用意できんのか?無理だろ」
と否定ばかりしたくせに、毒親はすぐ言うことが変わるんですよね。

「気分で話すこと変えるなよクソばばあ」
…なんて反抗したものなら、包丁やらフライパンやらが飛んでくるので言えませんでした。

常に親の顔色を窺い、雰囲気を肌でピリピリと感じながら生きていました。
心の中では中指立てました。


気分屋で物事を言うので一貫性もありません。
毒親に多い傾向です。厄介な人種ですね。

社会にいたら二度とかかわりたくないです。
自分の親だからといって、一緒にいたくありません。



いきなりキレる

顔色を常に窺って、親の言うことは素直に聞く「良い子」でした。
それは、親がいきなりキレるからです。

何がきっかけなのか、マジで分からないのです。

私の言動なのか、ほかの環境のせいなのか分からないのに、小さなころから親の顔色を窺って生きていると「自分の存在のせいで親を怒らせてしまった」と思うようになります。

かといって、親元から離れることもできませんでした。
小さなころから、親から否定されて育ったからだと思います。
「お前は一人で生きていけるわけがない」
と言われて育ってきたので、親元を離れたら私は死んでしまうと本気で思っていました。



まず否定から話が始まる

「きったねぇ」
「なんでお前はこんなこともできないの」
「へたくそ」
「もうやんなくていいよ」
「余計な事すんな」

私が幼いころ、フルーチェを作るときに牛乳をテーブルにこぼしたのですが、その時にかけられた言葉です。

牛乳と、パックに入った素材を混ぜて冷やすだけで簡単にできる、イチゴのぷるぷるとしたデザートです。


一回こぼしたら、「お前はできない子」「こんなこともできないグズな子」というレッテルを親から貼られ、二度とやらせてもらえませんでした。


当時の幼い私は、親の言う通り「できない子」「グズな子」だと自分を認識しちゃいました。

そのくらい、幼いころの人格というのは親の言うことで支配されてしまうのです。




うるせぇえ~~~!!!!!

今なら声を大にして言いたい。

「一回こぼしたくらいでなんな~~~~ん!???」
「あんたは今までの人生失敗したことないんか~~~~~~~~??????」
「私から自信を奪うのが楽しいんか~???それで育児できてます愛情込めて育ててますって本気で思ってんのが意味不明~~!!」

って感じです。


私はそんな親になりたくないので、もし子どもができて一緒にフルーチェ作ったときに例え牛乳こぼしても、フルーチェの入ったボウルを盛大にひっくり返したとしても、怒ることはしません。
突然フルーチェを目に入れるとかしたら驚いて止めると思うけど。

「こぼしちゃったね~。もう一回作ろうか!」
「ひっくり返しちゃったの!w 一緒にふきふきしようか~」

してしまったことは戻らないので、事実を受け止めて、失敗したらどうしたらいいのか解決策を教えたいです。

失敗は誰でもするので、怒っても何も解決しません。
あと、失敗しないように事前に防いじゃうのは、いざ子どもが「失敗した」事実に直面した時に解決策を考える機会を奪ってしまうので我慢します。


正解は分かりませんが、私が親からそうして欲しかったので。



おわりに

最後グチになってしまいましたが、私が自己否定してしまう癖はこのフルーチェの時からかもしれません。印象に残っているので。

失敗してもいい。
失敗した後も大体の事象は解決できる。

この考え方をするようになってから、不安障害も少し穏やかになってきた気がします。

見てくださってありがとうございます。


おしまい


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