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「好きで始めたのに、周りの結果で一喜一憂するのって、めちゃくちゃ損」

自分の意思で始めてどうしようもなく好きなことって、めっちゃ想像力湧いてくる。「こうしたらもっとうまくいくかな」っていう過程がムチャクチャ楽しかった。

「好きが原動力」って一番強いと思ってる。俺は人からの評価をすごく気にするし、売れたいし、数字に一喜一憂する側面もあるわけですよ。

でも、好きで始めたのに、周りの結果で続けられなくなったり、一喜一憂するのってめちゃくちゃ損なことだなと思う。

やってる時間が楽しかったから始めた。それがもう到達点だから、それさえ大事にしておけば、不幸せにならなくて済む。やってる瞬間が楽しかったら幸せでいられる。

   DJ松永(Creepy Nuts)

「日曜日の初耳学」


高校生の途中までは、英語の勉強がとても好きだった。

周りと比べてどうとか、テストの点数がどうとかではなく、純粋に英語が好きだった。

新しい単語を覚えるのが楽しかったし、話す言語によって自分の性格が変わるのもおもしろかった。言語の背景にある文化を知るのも好奇心が湧いてきた。


でもなによりも、自分の理想とする発音に近づけるのがいちばんの喜びだった。

ネイティブスピーカーのようなリズムやイントネーションで発音できるように何度も何度も音声を聴いて真似た。バックストリートボーイズのバラードは参考になった。DやTの発音のコツは、彼らの曲を聴きながら発見した。

残念ながら、私は大学入試レベルの英文も全部を読めるわけではないし、日常会話も「できる」と堂々と言えるレベルにない。海外の語学学校に行ってた時も、クラス分けは中の下だった。

でも、発音は褒められることが多い。中学生の時、英語の先生に「Lの発音がうまい」と言われて以来、自信を持っている。社会人になってちょっとだけ通っていた英会話スクールのオーストラリア人の先生に「完璧な北米アクセントだね」と言われたことも大切な宝物だ。



ずっと英語の勉強が好きなままだったらよかったけど、途中で挫折している。

高校は英語科に進み、テストの点数で勝てなくなった。ネイティブでも使わないという難解な単語や構文を覚えることに対するモチベーションが保てなかった。

でも最大の原因は、親からの期待が大きすぎたことだった。学校の成績にも満足していなかったし、とにかく「英検、英検」とプレッシャーをかけられた。私にはどうしても英検準一級の壁を越えられなかった。それをずっと責められていた。

何回受けても合格できないことに、ただでさえ恥ずかしさや無力感を感じているのに、「努力が足りない」とひたすら怒られるのは苦痛だった。

気分を変えてTOEICや国連英検にチャレンジしたけど、いい結果が出ても、相変わらず英検の話をされた。


私の場合は、始めたきっかけは親が与えてくれたものだったけど、自分が好きで続けて、英語科まで進んだのに、「英検合格」という基準でしか認めなかった親の期待に応えられず、英語の勉強が嫌いになり、やめてしまった。

もったいないなと思って、何度か勉強を再開したいと思いはするものの、すっかりトラウマになっているようで、なかなか再開できない。


でも、そのたびに思うのは、私の「英語ができるようになりたい」は、テストや資格試験の合格がゴールではなかったはずだということ。

私のモチベーションは「きれいな英語を発音したい」というところにある。

もちろん難解な英語の論文も読めるようになりたかったし、ビジネスレベルでぺらぺら話せるようになりたかった。それは叶わなかった。

でも、自分の原動力を突き詰めて探っていくと、「きれいな発音」だ。

もっと正確に言えば、「ネイティブスピーカーのように」ではなく、国際言語と呼ばれる英語の発音ができるようになるのが理想。誰にとっても聞き取りやすい発音。


英語の勉強はいまだに再開できるに至っていないけど、洋楽を聴いて、それを発音できるようになるのは相変わらずずっと好きだ。

誰に披露するわけでもなく、褒められたいと思うわけでもない。純粋に好きでやっている。歌詞カードを見ずに歌詞が口から出るようになるのが楽しい。自分の理想とするきれいな発音で歌えるのが嬉しい。

DJ松永さんの言葉を借りれば、好きな洋楽に合わせて口ずさんでる瞬間は、もう到達点にいるんだ。

この幸せな気持ちは誰にも奪われたくない。



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