「〈叱る依存〉が発生した場合、第一の被害者は『叱られる人』です」
最近、noteの執筆が思うように進まない。
ほんの数週間前は、スラスラと書くことができていて、「1日2本の投稿もできるんじゃないか」とすら思っていたけど、この1~2週間は「連続投稿もここまでか」と思うくらいに書けない。
このところ忙しくて疲れているというのも理由の1つだけど、それにしても書く意欲が湧いてこない。
書くネタ探しをしても、インスピレーションが生まれない。
そんな中で見つけたこの記事で、心のわだかまりに気付いた。
また「叱る」の是非問題にぶち当たってしまったようだ。
この数週間、同僚の仕事ぶりと態度に、みんなが迷惑している。
このnoteでも何度か愚痴をこぼしてしまったけど、その同僚を野放しにしてきた上司たちも良くないと思っている。
私がいつもイラっと感じていた同僚の言動は、上司たちも良いとは思ってなかったのに、そのままにしていたのがまずかったんじゃないかと。
改善しないといけないところは本人が理解するまで話をした方がいいと思うけど、遠慮がちに、時には「すみません」と言いながら「お願い」する。
私がその同僚に注意すると、上司に「こわい、こわい」と茶化されるし、上司がそこまで問題意識を持っていないなら、でしゃばるのはやめようと思って控えていた。
その同僚の良いところも見ようとする上司を見倣わないととも思った。
でも、今の状況になって、やっぱり今までのやり方が間違ってるんじゃないかと思っている。
感情的に叱るのはいけないから、どうしたらうまく伝えられるかと悩んでいたところで、この記事に出会った。
そして、混乱している。
私が加害者なんだろうか。
私はその同僚に苦痛を強いるだけなんだろうか。
私はその同僚を叱ることで充足感を得ようとしているだけなんだろうか。
私は「叱る依存」に陥っているんだろうか。
私はDVやパワハラ、虐待する人間なんだろうか。
「DVやパワハラ、虐待」
これが一番堪えた。
そういう人間なんじゃないかと悩んだことがあったから。
ある程度、答えを見つけてから記事にしたかったけど、見つからない。
私が我慢したら済むことなんだろうか。
それも少し違う気がする。
混乱中だ。
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