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「人をコントロールできる人は『アメと無視』をやっている」

「アメとムチ」ではなく、「アメと無視」

片方に行けばアメがもらえて、もう片方に行けば電気ショックを与えられるT字の迷路の実験をネズミにしたとする。いつもアメの方に行けたらいいけど、たまに間違えて電気ショックを浴びることになる。そうすると、動いてトライすることが嫌になって、何もしないネズミが育つ。
一方で、片方にアメが置かれていて、もう片方に何も置かれていない迷路であれば、ネズミはすぐにアメのところに行けるようになる。早く育つ。

クイズ番組で間違えたら「ブー」と鳴る。でも、あの「ブー」からは間違えたということ1つしか学べない。

ストレスの割に学ぶ量が少ないのがムチ。だけど、「こういうところがよかった」「こういうところが好きだ」「今度はこういうふうにしてほしい」というように、必然的に情報量が増えることが褒めるということ

だから叱るよりも褒めることを乱発する人の方が人がついてくるし、人をコントロールできる人は「アメと無視」をやっている

   植木理恵(心理学者)

「ホンマでっかTV」


叱られたり呆れられたりというマイナスの反応を浴びると、次に挑戦しづらいのはよく分かる。

ネガティブな反応は嫌だから、次は慎重になるし、できることならもうチャレンジしたくない。

ストレスの割に学ぶ量が少ない」というのがよく言い表している。


ただ、どういうことを「無視」と言っているかにもよると思うけど、無視もパワハラになると言われるように、使い道を間違えるとストレスになると思う。

性格によるものなのか、私も無視は強いストレスを感じることがある。

ダメならダメだと言ってほしいと思うし、できればどこがダメなのかも言ってもらいたい。

本当はダメなのに褒められるのも、後になって嘘だったと知るとショックを受ける。

ストレスやパワハラを抜きにすると、「人をコントロールする」という意味では、あからさまなムチよりは無視の方が効果的なんだろうけど。

「アメと無視」で人をコントロールしながら、人を育てることはどこまで可能なんだろうか。

褒めることの量のバランスで調整するのかな。


褒めることを「必然的に情報量が増えること」と捉えるのは素敵だな。

その「情報」が、人を動かして育てることになると思う。


それはそうと、植木先生が久々にホンマでっかTVに出演されてて安心したし、嬉しい。



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