遠慮しないこと。我慢すれば山で死ぬ
こんにちは@tateshina_lifeです。
喉まで出てきた言葉は全部言ったほうが良いです。
アジア、特に日本では相手や周囲などの”気”に配慮して、言葉を飲み込む人が多いように思います。
僕が山で生きてきて至った結論としては、
言いたいことがある時は遠慮や我慢をしない
相手の立場や気持ちを理解することも大事だけれど
それ以前に自分のことを大事にする言葉を飲み込むことで自分の心は壊れていくから
我慢をすることは身体に良くありません。
"我慢"は合理的(と思える)思考によって感覚=身体=行動を押さえつける行為です。押さえつけられる対象はストレスを感じます。ストレスは”歪み”として身体の中に蓄えられ、いつの日か押さえがきかなくなった時に爆発します。地震の原理です。
他人や周囲を"その時に"おもんばかった結果として、いつかそのしっぺ返しが他人や周囲、場合によっては自分に対して”当たる”反動として表出するのです。エネルギー保存則です。
でもそんなことをしたら、”今この瞬間に”相手や周囲との関係性は崩れるかもしれない、と思うかもしれません。
それでも、相手が離れていったら受け入れる、のです。
今この瞬間に縁がなかったと考えるのです。自分の問題ではなく「縁=宿命としての関係」の問題として捉えるのです。縁は時期によって変化しますから、状況が整えばまた話せる日が来ます。
誰かと厳しい冬山に登ることを想像してみて下さい。
相手がベテランでペースが速く、ついていくことが困難になりました。汗をかいたりゴーグルが曇ってきたので装備を交換する必要もありそうです。相手は「ここを踏ん張ればもう少しだよ」と励ましてきます。
ここで、あなたはどうするでしょう?
今の自分の状況を我慢して何も言わずについていった結果として、相手のペースに合わせて登れば滑落したり凍傷で行動不能に陥るかもしれません。
一方、相手のペースは崩すことにはなるけど「ちょっと自分、厳しいので一旦休みつつ装備を交換させて下さい」と言うことにします。現在の自分が置かれた困難な状況は改善されるでしょう。
この2つの異なる”結果”、相手はどちらを”望んだ”でしょう?
そして、それ以前に自分はどうでしょう?
実際に僕が山で経験したことです。
具体的に何が起こったのかは書きませんが。
自分の感覚、身体、行動を大事にしてあげて下さい。
山も喜びますから。
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