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「小説 組織風土改革推進委員会」第2話:組織風土改革推進委員会


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第2話:組織風土改革推進委員会


 俺は、人事部の隣、通路とパーテーション、ロッカーなどを隔てたところにある「組織風土改革推進委員会」に所属している。独立した部屋とはなっていないが、目立たない場所でもあり、あまりそこにこの委員会があることはみんな知らないようである。また、周りの方が聞いたら、少し硬い組織名であった。外部の方からも
「すごい名前ですね」
と、よく言われる。すごいの意味合いは、すごく良いではない、きっと、仰々しい名前だと感じているに違いない。何か会社で不祥事があると、こういう名前の組織が立ち上がることが多いようだが、組織立ち上げの意味はそういうことではなかった。社長が変わった時点で、この組織が出来ていた。

 ここには、各部署から名目上のエース級が集められている。まあ、名目上である。人事からは、
「ここはエースが集まるところだ」
と言われてみんなやってきている。来期含めた四年間で四人目の上司を迎える、この組織風土改革推進委員会は、常に変化の波にさらされているとも言える。上司が変われば、やり方も多少変わってしまう。やってきたその人がそう望んでいないとしても、なんとなくこう考えているのか、という遠慮なのか、配慮なのか、その部分は働いてしまっている。正直、ある程度の役職経験者であれば、それなりに、その方の考え方や、やり方がある。今までやってきたことをどう評価しているのか、これからどうしていこうと考えるのか、自分たちの仕事のやり方をどう思うのか、変化に適応しながら、組織風土改革という目標を達成できるのか、なんとなく思いがめぐる。

 ここ3年、この組織ができてからずっとここに俺はいた。周りからは、ある意味、そこに居座っているだけのように見えるかもしれない。俺だけここに3年もいる。そして4年目に突入し、段々と、アラカンを迎えようとしている。通常の組織であれば役職定年の年齢である。早いもので3ヶ月後の月で55歳。あっという間の会社人生だった。まだ5年から最大10年残れるのだが、あと1年から2年と自分では決めている。

 世の中には「働かないおじさん」という言葉があるが、実際のところ、俺は「働きすぎおじさん、もしくは、働くのが好きおじさん」だ。黙々とスピーディーに仕事もできるし、周りの組織を巻き込んでいくこともできる。ある程度の年齢のせいかもしれないが、そのあたりのことは主体的に引き受けている。みんながどう思っているかはわからないが。そろそろセカンドキャリアを考えたら、あと1年、もしくは2年で、次のキャリアを考えていないと難しいと思っている。60歳になって、「どうしよう」とか、「転職しよう」と言っても遅いだけだと捉えている。「働かないおじさん」たちは明らかに会社に社畜としていたが、彼らはどうするのだろうと心配に思えてしまう。世の中はそんなに甘くないはずだ。

 また、ここは、人事本部から暖簾分けされたような組織であるが、実は、ずっとほぼ3年近く、兼務者中心の集まりの組織で、最初は、本務の社員は俺だけであった。途中、組織が2年目の時期に、今もいる青山が本務でやってきたが、考えたら、ずっと、上司も兼務であった。しかし、兼務となるほかの社員は、いろんな部署から、事業本部のスター、エース級が集まってきていた(と、言われていたがどうかかはわからない)。そして、なぜか、今年の1月より専任で5人の体制に大きく変わった。今まで俺と青山以外の3人は兼務であったが、この一月より本務となっていた。これは、「変革のスピードをもっとあげていこう」という経営からのメッセージであった。というか、社内ではそう捉えられていた。確かに、会社から打ち出すワードも、「変革」という言葉が昨年度より明らかに多くなっていた。

 但し、俺は「社長の思いや、メッセージはそうであったとしても、役員などの動きを見て、そう感じる社員はいるのだろうか」と常に思っていた。「社長が発する言葉と、ほかの経営層に乖離があるのではないか」と、俺の部署にも社員からの声が寄せられていた。 

 そのまま、経営層にその言葉をぶつけることはしなかったが、当時、人事本部長の加藤さんだけは、その内容について関心を持たれていた。今までの上司たちはそのようなことに蓋をするような方々であった。加藤さんは、
「このことは、社長や、専務と話をする内容だね」
と、言ってくれていたようだ。直属の上司ではないのだが、人事の人間から加藤さんの考え方や、動きなど、そう聞いていた。加藤さんのその捉え方は、組織風土改革推進委員会、この組織が出来た当時からそうだったようだ。果たして社長、専務に話が上がったのかどうかはこの時は知る由もなかった。その頃は、そういう話が上がれば、会社も何か変わるのではないかと淡い期待をしていたと思う。

 組織のメンバーは、インフラ事業本部から八木沢と荻野。二人とも30歳で課長補佐となり、昨年、34歳の時にこの組織で兼務の立場で来ていた。たぶん、現場組織に戻った時には課長、タイミング合えば部長となるのではないだろうか。二人は、ちょうど若手と管理職の間の世代なので、うまく現場の意見などを引き出す役を担っている。若い方からの相談などもうまく対応しているようだ。元気が取り柄の男たちでもあった。似たような両名に聞こえるが、見た目は大いに違っていた。八木沢は長髪で180センチを超える身長もあり、一見、顔立ちもさわやかで二重の目元もくっきりとしており、どちらかと言えばモデルタイプである。逆に荻野はショートカットの髪型で、身長は165センチほどで低いのだが、筋肉質のタイプであった。どうもジム通いが趣味だと聞いた。二人とも、仕事に対して非常に前向きであったが、年齢差もあるので、そんなに飲みに行くとかいうことは、ほぼなかったが、俺もあんな営業時代があったなと二人を見て思うところがあった。

 マテリアル事業本部からは青山が来ていた。青山は、銀プチメガネが第一印象として残っている。常に体型に合わせたピチッとしたスーツを着こなしていて、丸の内の典型的なサラリーマンに見える(会社は東中野だが)。体重も入社してからほとんど変わっていないと聞いている。年齢は、50歳になったばかりだが、来る前は、たしか副本部長の職であった。ここに来て二年、今年3年目だから、俺の次に古参ということになる。最初の3か月は兼務ではあったが、それから本務となっていた。本当なら本部長、役員と登り詰めてもおかしくないと思えるくらいスマートで、ある面人望も熱いのだが、どうもパワハラ的な疑いをかけられて、結果、ここへ来たのだった。異動の時に、上司である役員から
「パワハラ嫌疑をこの組織で晴らせ」
と言われたと聞くのだが、グレーな面もあるのだろう。彼の下にいた、この組織の部長や、課長からはあまりよい話を聞いていない。メンタルを病んで、休職した社員、つまり彼の元部下が二人いたのは間違いない。そう、本人も自覚があるはずだ。実際は、パワハラは、受けた側がどう感じるかなので、青山がどう思うかなど関係はないとも言える。管理サイドをフォローするわけでもないが、このあたりの面で、板挟みにあう管理職も多くなっている。いったん、パワハラだのレッテルを貼られると、まわりの目もあり復活は難しい。その点、会社もきびしく見ている。日本企業の中にはまだまだ甘い企業もあるとは聞いているが、うちは、きびしいほうだろう。

 そして、ソリューション事業本部出身の四十歳の香取。一見、人なつっこい笑顔を醸し出しているが、意外とクールな男であった。社内でもジャケットに黒のTシャツのスタイルで出社することが多く、なんとなくスタートアップの社長にも似た雰囲気てあった。俺はあんな格好は出来ない。彼は中途入社で、もともとは大手広告代理店にいた。代理店時代は営業だったようだが、当社に入ってからは、ソリューション事業本部の企画面、マーケティング面を担っていたようだ。営業セールスのロールプレイング研修を企画したり、新しい営業のやり方などをもちこんでくれている。そして、彼だけは一年前に自身からの社内公募でこの組織風土改革推進委員会に兼務としてやってきた。彼曰く、人的資本と財務資本をおさえた経営側でいたいようだ。確かに他のプロパーと違って、優秀である。委員会の中でも、新しい施策展開も彼が中心となって、考案している。来月、4月からはエンゲージメントサーベイのテスト、6月から本格導入といった感じで全社員にアンケートを行う予定であるが、彼の企画である。仕事に対する探究心や情熱には感心するが、少し、野心家でもあるように感じる。自身の力で、自分の力だけで何かを成し遂げたいという雰囲気がある。うちの組織風土改革推進委員会自体は彼の手の中で踊っているのかもしれない。



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