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実はあまり知られていない三増酒が造られた経緯と特定名称酒制度ができるまでの流れ その1 本日の紹介酒は特選 剣菱

1、初めに


日本酒が低迷した原因を作ったのは三増酒と言う意見は多いですが、意外にどのような経緯で三増酒が造られ、どのように特定名称酒制度が登場したのか、意外に知られていない気がします。
実際に、三増酒登場までの流れを検証してみて感じるのは、従来言われている三増酒が日本酒低迷の原因を作ったとは必ずしも言い切れない部分があるように個人的には感じました。
現在、和食ブームとともに海外でも日本酒が認められるようになり日本国内でも日本酒に対する注目度が非常に高まってきています。
現在の日本酒の品質保証制度として特定名称酒制度がありますが、そこに至るまでの経緯についてお話いたします。

下記画像は昭和初期キリンビールポスター(ビール酒造組合HPより引用http://www.brewers.or.jp/tips/histry.html)

キリンビールポスター

2、合成清酒と三増酒の登場


Ⅰ合成清酒とは何か
1918年(大正7年)に起きた米騒動をうけて、理化学研究所の鈴木梅太郎らが将来の食糧難における対策の為に研究に着手しました。1922年(大正11年)に製造方法の特許を所得し、1923年(大正12年)に大和醸造から(新進)という銘柄で商品化されました。

Ⅱ三倍増醸清酒とは何か
第2次世界大戦末期の1944年(昭和19年)より導入されたアルコールを添加して作る清酒製造の方法です。
その製法は、米と米麹で創った醪に清酒と同濃度に水で希釈した醸造アルコールを入れ、これに糖類(ぶどう糖・水あめ)、酸味料(乳酸・こはく酸など)、グルタミンソーダ等を添加して味を調える。こうしてできた増醸酒は約3倍に増量されているので、三倍増醸酒と呼ばれています。

下記は合成清酒画像(オエノンホールディングスHPより引用https://www.oenon.jp/product/sake/synthesis/ureshitanosiiosake.html)

合成酒

3、満州国とアルコール添加酒


Ⅰ満州国とは
1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)まで日本帝国陸軍(関東軍)主導により建国された中国東北部に存在した国家です。
1929年(昭和4年)の世界恐慌により、日本も深刻な影響を受け昭和恐慌のさなかに造られた国で、この満州国を成立させることにより、当時の日本は中国東北部に巨大なマーケットを得て、満州国を農工業国家として計画的に発展させることで、日本は世界よりも早く世界恐慌を脱することができました。
満州国が成立した時点(1932年)の人口が約2900万人、1940年(昭和15年)の太平洋戦争の一年前で約4320万人(うち日本人が約210万人)、1930年での日本の人口が約6440万人、1940年で約7310万人だったので、日本の約半分の人口を持つ巨大なマーケットが満州国のもう一つの姿でした。

Ⅱ満州国で作られたアルコール添加酒
日本人が多く入植した満州は寒冷の地であるのと入植者に青年層が多かったので、日本国内に比較して一人あたりの清酒消費量は2倍と言われていました。
その為、日本国内より相当量の清酒を移入するとともに、満州国内でも清酒の製造を行っていましたが、現地の水が非常に硬水であったことや、酒造適性の乏しい満州産米を使わざる得なかったこと、設備の貧弱な酒造場が多く腐造や火落ちなど品質に問題のある酒が後を絶たなかったこと、既成の日本酒は現地の極寒の気候では凍ってしまうことなどから、満州独自の醪にアルコールを添加する酒造りの研究が満州国経済部試験室を中心に研究されていました。
1940年(昭和15年)に日中戦争の拡大により原料米の統制が行われ、日本国内の清酒製造量が半減した為、日本国内からの清酒移出量が減少しました。この時期に新京の丸三工業株式会社にてアルコール添加酒の標準的な製造手法を確立し、1941年(昭和16年)に満州全土の酒造場でアルコール添加酒の製造が実行に移されました。このお酒を満州では、第一次酒または第一次増産酒と呼ばれました。

Ⅲ日本国内でも米不足の為アルコール添加酒が造られるようになりました。
1941年(昭和16年)に太平洋戦争がはじまったことにより、日本国内でも米不足に拍車がかかり、1942年(昭和17年)に食糧管理法が制定され、酒造米も配給制になりました。
このような状況の中で清酒増産の為にアルコール添加酒の製造が酒不足の解消の近道と考え、醸造試験所で1942年に試験醸造を行い、同年55の酒造場で試験醸造を行いましたが、アルコール味を残し酒の旨味やゴク味が乏しくなったため、甘み成分の増強を目的とした四段添加や、乳酸・コハク酸・クエン酸等を添加する補酸が行われました。
1944年(昭和19年)には、内地の全酒造場でアルコール添加酒が製造されるようになったが、日本酒の純粋性と品質低下を招くとの批判があったので、大蔵省はアルコール添加酒を原則的に清酒三級として扱うように通達を出しました。

Ⅳ満州で製造された糖類添加酒
1942年(昭和17年)になって、満州ではさらに酒造用原料米の割り当てが減らされる一方で清酒の需要が益々増加してきたのでアルコールをさらに大量に入れて増量する必要に迫られました。
そうなると四段添加では甘みが追い付かないため、既に実用化されていた合成清酒の技術を参考にして、糖類を醪に直接添加するという方法が満州国経済部試験室で考案されました。
これを第二次酒、第二次増産酒と呼び、白米の醪1に対して、25度の醸造アルコールを3添加することで約3倍の酒を製造する手法です。満州ではこの第一次増産酒、第二次増産酒の製造が、昭和20年まで行われました。

下記画像は満州国(正しい日本の歴史HPより引用http://rekisi.amjt.net/?p=8232) 満鉄あじあ号(Wikipediaより引用)

満州国

満鉄 アジア号

4、本日の紹介酒 特選剣菱

日本酒テイスティングデータ

銘柄 剣菱 特選 (兵庫県 灘)

主体となる香り 原料香主体、淡い柑橘香とハーブ香有り

感じた香りの具体例

炊いた白米、ヨーグルト、カスタードクリーム、マシュマロ、ウェハース、きな粉、スペアミント、クレソン、甘夏、みかん、はっさく、杉、若草

甘辛度 やや甘口

具体的に感じた味わい

ふくらみがありなめらかなテクスチャー、ふくらみがありなめらかな旨味が主体、後味のキレはよい、ヨーグルトやスペアミントを思わせる含み香
このお酒の特徴 ふくよかでなめらかな味わいの醇酒

4タイプ分類 醇酒

飲用したい温度 20℃前後、45℃前後

温度設定のポイント 

20℃前後にてふくらみがありなめらかな味わいを引き出す
45℃前後にてふくよかで濃醇な味わいを引き出す

この日本酒に合わせてみたい食べ物

プレーンオムレツ、かつ丼、ハヤシライス、舌平目のクリーム煮、サーモンの造り、サバのきずし、鯖の塩焼き、さんまの塩焼き、タンドリーチキン、ケバブ等

お問い合わせは 酒蔵 http://www.kenbishi.co.jp/

Quoraテイスティングブック https://jp.quora.com/q/vqteahszdbwtotmx

※日本酒4タイプ分類に関しては、SSI(日本酒サービス研究会)の分類方法を引用し、参考としています。
※写真は製造元酒蔵様のHPより引用しています。


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