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オオカミ男と晴れ女 第2話

▶第一話

 キッドはエリカと共に、常冬の町の商店街を歩いていた。

 常冬の町は地下の町だ。吹雪をしのぐために大きな洞窟に集まった人々がそのまま居つき、長い時間をかけてアリの巣のように拡大したのだとか。そのため空はなく、定期的に配置されたランプが町を照らしている。

 キッドはときおり人に脚をぶつけられながら、エリカと共に商店街を歩く。軒を連ねる店先には、近くの港で釣った魚や、地下農園で採れた小麦、雪ウサギの肉や木の実、外地の商人が持ち込んだ毛皮や刃物など多種多様な品物が並んでいる。キッドがもともと暮らしていた町にも市場はあったが、そこと見比べても遜色のない品ぞろえだ。

 そんな商店街の一角、肉屋の前でエリカが立ち止まり、カウンターの婦人に声をかけた。

「おばちゃん、これちょーだい!」

「あいよ。いつものように五百グラムかい?」

「うん!」

 エリカのそばでおとなしく”おすわり”して、キッドはエリカと肉屋の奥さんの会話を聞いていた。

 彼はこういうとき、店に背中を向ける形で座っている。以前、肉屋のほうを向いて座っていたら、道の方に伸びている尻尾を通行人に踏まれてしまい、叫び声をあげてしまった経験があるのだ。あれは痛かった。

 エリカを待つ間、キッドはいつも道行く人々を観察する。ここは地上のように極寒ではなく、人々の装いも軽い。彼らは松の木の皮で作ったカゴを持ち、買い物に勤しんでいる。その間を縫うように、商人たちや小僧が麻の袋を担いで駆け抜ける。今日は物盗りの類はいないらしく、通りは平和な活気に包まれていた。

「ほれ、ワンコロ」

 不意に降ってきた声に振り返ると、肉屋の店主が人の良さそうな笑顔で彼を見下ろしていた。干し肉を親指と人差し指で摘まんで、キッドに差し出している。

「新作だ」

(……ほう)

 噛り付く。口の中にオリーブの香りが広がった。肉そのものにオリーブの脂が塗ってあるらしい。塩も効いていてなかなか旨い。エリカが酒のつまみにしそうだ。

「旨いか?」

「ワン!」

 エリカ以外の人間の前では喋らないことにしているので、キッドは吠えてみせた。店主が表情をさらに崩してキッドを撫でる。

「おお、旨いか旨いか、よかった! ほれ、もう一枚」

「おっちゃんダメだよーあんましあげたら!」

「大丈夫だって、うちの肉は旨いから!」

 エリカは「旨いからダメなんだって……」とぼやき、屈んでキッドと顔の高さを合わせて小声で話しかけてきた。

「……買っていく?」

「そこはお前次第だが、麦酒によく合うとは思うぞ」

「うっ……」

 小声で返したキッドの言葉に、酒が好きなエリカは揺れる。彼女は呻きながら立ち上がった。

「いや、でも家計が……」

「お、揺れてるねぇ。ワンコロと会話でもしたのかい?」

 まさかキッドが喋るなどとは思ってもいない店主は、そう言いながらちゃっかり追加の肉を差し出す。

「ワン!」

「そうだそうだワンコロ、お前からも言ってやれ!」

「ワンワン!」

「あーもう!」

 ひとりと一匹に囃し立てられて、エリカはとうとう折れた。

「わかった。それ一つもらうわ」

「まいどあり!」

 満面の笑みを浮かべる店主を、奥さんが呆れたように眺めていた。

***

 両手に麻袋を持って、エリカは自宅の扉を押し開けた。

 あれから色々と買い物をして、エリカもキッドも大荷物だ。ちなみにキッドは首から肉の入った麻袋を下げ、身体の両側にも別の荷物をぶら下げるという、騾馬のような状態になっている。

 エリカの家は、この町によくある、ダイニングキッチンと寝室のみの簡素な家だ。板張りの室内には簡素なテーブルとベッド、そして大きな本棚。地下にあるので窓はないが、換気口からは冷たい空気が入ってくる。

 主人の帰宅に、愛犬二頭が尻尾を振りながら奥から出てきた。それを適当にあしらいながら、エリカは暖炉に薪をいれ、火をつける。

「それにしても、買い込んだな」

 キッドは床に荷物を置き、エリカを見上げて話しかけた。

「二、三日、家にこもらなきゃいけないからね」

「仕上げどきか」

「うん。最終章の追い込み」

 エリカは大きく背伸びをしながら、キッドの言葉に答えた。

 エリカはこの町にあるいくつかの劇団に籍を置き、脚本家として生計を立てている。

 年中雪に閉ざされた退屈なこの町の人々にとって、演劇は欠かすことのできない娯楽だ。町の劇場では日々さまざまな演目が行われている。喜劇、悲劇、燃えるような恋物語、アツい友情物語……エリカは幼いころからそんな物語に魅了され、いつしか物語を描き、人を魅了することを夢見るようになった。

 そして三年ほど前に晴れて脚本家としてデビューした彼女は、親元を離れて(とは言っても近くに家はあるのだけど)この家で暮らしている。

 今回の脚本は、エリカを初めて脚本家として起用してくれた劇団<テアトルウルフ>の新作だ。

「根を詰めすぎて身体を壊さんようにな」

「うん。ありがと」

 そうこうするうちに湯が沸き、エリカはハーブティを淹れる。エリカは自分のマグカップ、キッド専用の陶器の皿にハーブティを注いだ。スノージンジャーの心地よい香りが部屋の中に漂う。

 雪ゾリを引いてくれる心強い愛犬二頭にはミルクが入った皿を差し出す。彼らは嬉しそうにそれを飲み始めた。

 ひとりだちの記念としてエリカの両親が与えてくれた愛犬の名は、ユキとコオリ。遠い異国の言語で、「雪」と「氷」を意味する言葉らしい。彼らを飼うとき、ハーブティ好きのエリカに両親は「ハーブティは犬の身体には悪い」という話をしてくれたものだが、キッドが気にせず飲んでいるあたり釈然としない。オオカミ男ゆえだろうか。

 それはさておき、同居人の予定を把握しておこうと、エリカはキッドに視線をやった。

「キッド。君は、今日はなにをするの?」

「特に決めていない。少し、掃除はするつもりだったが」

 熱いものが苦手な彼は、淹れたてのハーブティには口をつけず、水面を見つめたままエリカの問いかけに答えた。

 エリカは壁際に置かれたハタキとホウキに視線を移す。もともと持ち手が長かったホウキの柄は、人の二の腕くらいの長さで切断されていて、持ち手の部分には布が巻きつけてある。

 そして、ホウキの柄だった棒の先にはハタキが紐で結びつけられていて、こちらも持ち手の部分には布が巻きつけられている。どちらも、キッドがここで暮らすようになった頃、オオカミでも使いやすいように改造したものだ。

 ホウキを咥えて部屋を掃きまわるオオカミは、はたから見るとなかなかシュールで、エリカはそれを見るのが好きだった。本人は至って真面目にやっているので笑わないようにしているが。

「……すまんな。夕飯の用意くらい、してやれればいいのだが」

「いや、さすがにその身体じゃ、火は扱えないでしょ」

 七か月も共に暮らすと、彼の性格やクセはだいたいわかるようになった。

 好きなものは干し肉。野菜は、特にセロリを好んで食べる。極度の猫舌(オオカミなのに猫というのも不思議な話だが)で、たいていのものは冷めるまでじっと待ってから口にする。

 そして、なかなかの紳士で、マメで気の利くいい男なのだ。

「掃除してくれるだけで十分だよ。君が来てから、うちにはちゃんと足の踏み場があるんだから」

「む……」

 彼の鬣をモフモフしたエリカは、大きく背伸びをしてテーブルに座る。すっかりキッドに慣れ、兄貴分として慕っているらしいユキとコオリが、キッドに遊んでとじゃれつく。キッドはそれをあしらいながら掃き掃除をはじめる。

 そんな様子を見て微笑むと、エリカは自分の世界へと没入した。

(つづく)


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