北海道の食文化 納豆+砂糖
日本全国さまざまな食文化がありますが、北海道も独特な食文化があります。
砂糖の原料である甜菜(テンサイ)の一大生産地であるためか、とにかくいろいろな食が甘いです。
有名なのは「赤飯」でしょうか。
食紅で赤く着色し、小豆ではなく甘納豆が入っています。これは戦後まもなくのころに生まれたもので、北海道民にとってはこれが普通の赤飯。私はスーパーで小豆の赤飯が売ってるのを見たことがありません。
餅は砂糖醤油、フレンチドックには砂糖、トマト、フルーツ、そして納豆も砂糖をかけます。蕎麦つゆはミリンではなく砂糖の甘さです。
かつては砂糖は貴重品だったはずです。いつから、なぜこんなにも砂糖文化なのか、少し調べてみました。
「北前船」が運んだ黒糖
「北前船」とは江戸時代〜明治時代にかけて活躍した、大阪から北海道に至る海運船。関西が昆布だしが主流になったのも、北前船が運んでくる北海道産昆布が大阪に集積されたことが理由とされています。
開拓初期の北海道では砂糖は作られておらず貴重品。ハレの日だけは使っていましたが、その時に使うのは北前船が運んできた黒砂糖だったそうです。当時の輸送の大変さを考えれば、大変高価なものだったことが想像できます。
代わりに蜂蜜を採集していたという話もありますが、それでも簡単に手に入るものではなかったでしょう。
甜菜の栽培が始まる
砂糖の原料である甜菜の栽培が始まったのは大正時代とされ、最初の精糖工場ができたのは大正11年(1922)。本格的に栽培がされるようになったのは、昭和10年代だといわれています。
甜菜農家は、農閑期に売り物にならない傷物などを自家消費していました。年末になると細かく刻んだ甜菜を絞り、どろどろになるまで煮詰めたものを貯蔵して一年分の甘味料としていたそう。
煮詰めた汁は独特のクセがありましたが、甜菜栽培のキャンペーンとして農家に白砂糖が配分されたこともあったそうです。
少しずつ栽培する農家が増えると同時にその種子も自然に広がっていき、自家消費用に甜菜を栽培する人が増えていったそうです。
トウモロコシも甘味料?
我々北海道民は「トウモロコシ」のことを「トウキビ」と呼びます。漢字で書くと「唐黍」。甘いから「糖キビ」だと思っていましたが、違うようです。
さて、開拓農村ではトウキビをよく作っていました。
これは「八列トウキビ」と呼ばれる、いわゆる伝統野菜。明治20年代にアメリカから導入された品種が基になっています。今でも稀に手に入りますが、もちもち食感。デンプンのために栽培されていたんだと思います。独特な食感で甘くはないんですよね。
家庭ではこれを原料にして「甘酒」を作っていました。砕いて粥状に煮込んだものに麹を混ぜ、デンプンが糖化して甘くなったものを飲むんです。絞らずに粒が残ったものを飲むため、一部地域では「甘粥」とも呼ばれていたそうです。
これがさらに発酵するとできるのが「どぶろく」。米のどぶろくと違い、かなり辛口だったそうです。
では、なぜ納豆に砂糖をいれるのか?
長々と書いていよいよ本題ですが、一般的に砂糖を入れる理由は”寒冷地”だからとされています。「肉体の消費エネルギーを補給するため」「(寒さで)発酵が進みづらい大豆の、発酵を促すため」なんてのはよく言われますね。
以下はあくまで私の想像ですが、その理由にさらに説得力を持たせてみましょう。
そもそも甜菜は唯一北海道で生産されています(全国シェア100%!)。
かつて開拓民たちは、手軽に手に入る甜菜を使い自家消費用に砂糖を作っていました。当時のほかの地域に比べて、極めて身近な調味料だったことが想像できます。
戦前生まれの祖母は「戦時中でも砂糖に困ったことはなかった」とよく言っていました。砂糖に困らなかったのが、ある種のステータスでもあったようです。
そういう背景に”寒冷地だから”が合わさり、何にでも砂糖をかける文化が根付いたのだと思います。
「北海道」は食の宝庫なのか。
今でこそ食の宝庫と呼ばれる北海道ですが、かつてはその寒さ故に極めて貧しい食糧事情でした。米は栽培できない貴重品。トウキビ、アワ、ヒエ、オオムギなんかが主食です。もちろん米糠も貴重なので、漬物は塩漬けが基本。冬を乗り切るために、あらゆる物を塩蔵していました。さらに言えば塩も貴重品なので、海水で代用したという話もあります。
いつから食の宝庫と言われるようになったのかは分かりませんが、土地が広いため生産量が多いだけの話だと思います。
それでも、さまざまな食材が生産できるようになったのは、あらゆる研究者、農家の方々のおかげです。北海道の食料自給率は216%。一方で日本単位では38%(農林水産省HPより)。
この数字をどう見るか。
北海道の食糧事情の歴史をたどればたどるほど、昨今話題になりがちな「食品ロス」について考えさせられます。
納豆+砂糖の話をしようと思っていたら、最後はまったく内容が逸れてしまいました。ごめんなさい。