三年間守り続けた手綱、脆く持っていかれる

3年近く手綱を引き合いっこしていた相手がいる。

そう、皆さんもご存じのコロちゃん(年齢性別不詳)です。
個人的には人の懐に知らぬ間にスッと入ってくる、悪魔的で影の薄い存在なので女性だと思っています。

3年ほど前、世界のどこかで発生したといわれているこの方は、人に感染しては人を苦しめ、時には人を死に至らせる危険な存在として世界に名を轟かせましたね。

自分はそんな子には負けまい!とあらゆる対策をとってきましたし、念入りに注意をしていたつもりです。そう、手綱を譲っていなかったんです。

だけど、甘かった。

3年間という時間に自分はほんの少し満足しきっていたんでしょうね。

その隙をあやつは見逃さなっかった。一瞬のうちに手綱を手繰り寄せられて自分の体があっちに引っ張られていとも簡単に境界線を跨がされていました。乗っ取られたんです。

乗っ取られてからはそりゃもう、かなりいたぶられました。

毎日自分に「もっと体を火照らせ、熱を出せ」「寝込め、さもなくばくたばるぞ」「咳を出せ」「痰に苦しめ」「ほらもっとちゃんと呼吸してみろ」等の罵声を浴びせて来ては、ずっと頭の上で薄ら笑いを浮かべていました。

ほんとにやらしくて煩わしいんじゃわれ!

一人暮らしの自分にとって、孤独の状況での天の声的なやつってホントは救われるべき声のはずなのに、今は聞こえる唯一の声が上記のような罵声。脳内の自分の天の声はうまく機能していなかった。というか封じられてた。

こういう状況で頼りになる者たちがいることを発見した。
まず、ポカリスエット。
彼なしではこうやってnote投稿ができるまで自分がもとに戻ってきていないといっても過言ではない。
結局あやつとは三日三晩(冗談抜きで)戦ったのだが、彼はリングでのセコンドのようにいつも叱咤激励をしながら、自分の血となり肉となってくれた。
ほんとに感謝している。ありがとう。

そして、クラシック音楽である。
人間、死ぬ間際まで感覚が残るのは聴覚と聞いたことがある。
このあやつとの戦闘期間中、自分はこの噂を良い意味で確信することがあった。

元々音楽信者な自分は音を聞けない期間があるのがものすごく億劫なタイプ。
戦闘期間中はひたすらあやつの罵詈雑言に対し、ひたすら眠る、または栄養摂取することしか対抗策がなかったので本当に地の獄だった。

しびれを切らした私は、栄養摂取の一環として音楽を取り入れることに。

そこで戦闘前に読んでいた小説「革命前夜」のおいて主人公が愛して止まない「バッハ 平均律」を再生した。

主人公の言っている、どんな状況でも何もかもを元に戻してくれるようなバッハの作曲センスの凄さ、を実感するとともに、クラシック独特の何かどこかへ導いてくれるような頼りがいのある感じ、に導かれるがまま睡眠することができた。
ありがとう。

もちろん戦闘中にはほかのモノにも助けたもらったが、今回は特にこの二つが自身への貢献具合が高かったように思える。感謝してもしきれない。

そんな頼れるものたちのおかげで三日三晩の戦闘から無事に帰還し、もう一度自身に陣地に旗を取り戻し、手綱を握り直すことができた。

しかし、今回奴は自分に鼻声&鼻づまりという副産物までおいていきやがった。
当分はこいつとも戦わなければならんだろう。あーめんでぃ。
(鼻づまり君とは昔からの付き合いなのでまだ親戚の集まり的な感じでやりあえるのでマシ)

いつまたどこであやつが隙を突いてくるかはわからない。

だけどもう大丈夫、自分にはポカリやクラシック音楽を含めた数多くの元戦友を持っているのだから。片や何世紀も前の人が時代を超えて支援してくれてるようなもんなんだから。

コロちゃんよ、いつでも待ってるからな。
そん時は、また強くなった自分に打ちのめされるだけだけどな。


ってな感じの強気じゃないとやってらんないくらいに孤独の自宅療養は辛かったってお話でした。

やっぱりこんな状況でも自分に診療してくれる人、配食の支援をしてくださる方、その他支えてくださる方がいるのを知れたことにはコロちゃんにも感謝しないといけないかもしれないですね。


もしここまで読んでくださった方いたら、感謝感激です。

それではまたどこかで。

またねっ。

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