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“自分のせい”の身近な死ほど

新型コロナウイルス、本当にどうなっちゃんでしょうか?世界でも、日本でも、とにかく感染者数増加を抑えるためにあらゆる施策、啓蒙が続いていますね。

いろんな意見が飛び交ってはいますが、今日は「個人が判断するときに重要なもの」について書きたいと思います。これはコロナ対応に限らず。

それは2011年のこと。この年の日本といえば、あの悪しき記憶の「3.11」。ちょうど大学入学前、春休み中に友人と遊びに来ていた東京で被災し、あのあと1週間地元に帰省できず先輩の家に居候させてもらいました。

そして、今回はその約2ヶ月前、2011年1月の話。私の人生で忘れられない出来事がありました。

事故。

小さい頃から一緒だった友人を目の前で亡くす事故が起きました。ただ、ひとえに「事故」といっても、それは“防ぎようのあった”事故でした。18歳だった私たちには「不幸が起きる」なんて1ミリも頭によぎっていなかった。が、その浅はかさ故に起こってしまったと、今でも後悔は薄まりません。

あの時、「もしも…」と考えられていれば。

あの時、「やっぱり…」と考え、発言できていれば。

あの時、「いや…」と発言し、行動できていれば。

物事に、100%はありません。絶対に勝てないと思っていた相手に勝てることもあれば、絶対に死なないと思っていた人が死ぬこともあります。

「なんかかかる気しないんだよね」も、

「かかっても別に大丈夫でしょ」も、

100%はありません。

そして、“あなたのせい”で、死んでしまう人が現れることも起こり得ます。

そしてそれが、あなたの大切な人になってしまう可能性もあります。

世の中、特に今回のような感染症は「防ぎようのない」ケースも多々あると思いますが、「防ぎようのある」ケースもあるはずです。

失う経験をしないとわからないこともある。たしかにそうかもしれないけど、そんな経験、しないほうが絶対良い(これは100%)。

経験ほど、判断の材料になるものはありませんが、その経験をきちんと想像できるようになると、経験なくとも正しい判断ができるはず。

大切な人を大事にするために、一人ひとりがよく考えて行動する。

早くみんなでビール飲みたいなぁ。

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