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【クイーンズ・ギャンビット】レビュー|男性優位な環境の中に出てくるジェンダーレスなもの

Netflixシリーズのドラマ「クイーンズ・ギャンビット」の予告編を観たとき、私は勝手な想像をしていた。

主人公の女性ベスが、男性しかいないチェスの世界で偏見を受ける話だと思ったのだ。

起き抜けに度数の高い酒で薬を流し込む描写は、そんな社会に疲れたからなのだと思っていた。

一方、日本テレビで放送されていたドラマ「悪女(わる)」は新入社員の女性、田中が元気いっぱいに働くドラマだ。

こちらは、破天荒な新人により旧態依然とした社内の改革が進んでいくというファンタジーなのだと決めつけていた。

しかし、この2つの作品は私の偏見を鮮やかに裏切った。

この2つの作品に出てくる主人公には似ているところが多々ある。

まず男性優位の環境下に置かれるということ。恋をするところ。男性からモテてるところ。有能であるということ。そしてボブというヘアスタイル。

「クイーンズギャンビット」の主人公ベスは、幼少期にいた養護施設の掃除夫にチェスを教えてもらい、才能を開花させる。

その後、養子として引き取られ高校生になったベスは、女性の部がないチェスの大会に知恵をしぼって参加し、勝利を収めていく。

彼女はチェスが好きだが、その他の部分については他の女の子と変わりなかった。

休み時間に男性の話しかしない女生徒の輪の中には入らないが、その子たちと同じように異性と付き合うことや流行のファッションに興味を持っていた。

そしてトーナメントの賞金で容姿を磨いていく。服装も髪型も流行にのせてころころと変えていく。

チェスプレイヤーとしては負けたり、一旦休止してしまったりしながらも、鍛錬し、さらに強くなっていく。一度負けた相手に教えを乞い、最終的にはその相手を上回る。

しかし、私生活では、養母との関係性が変化したり、恋愛に思い悩んだりと、チェスプレイヤーではないベスの姿も描かれている。

一方、「悪女」の主人公、田中も入社初日から才能を開花させている。

その点はベスと同じではある。しかし、田中のファッションは全く流行を無視したスタイルだ。

原色のジャケットを着て、中に大柄のシャツを着て派手なネクタを締めていたりする。そして髪型は前髪が短めに切り揃えられた黒髪のボブ。

田中は様々な経験を積み、部署を移動し、入社2年目になっても一貫してそのスタイルを崩さない。

田中は入社して早々、最下層の備品調達部に配属されるが、コネも何もない状態で力を発揮する。

会社に馴染めない2年目の先輩に対してもその人が動いてしまうような声をかけたり、取引先の社長の本心を言い当てたりする。

そのような能力が最初から備わっているのだ。

「悪女」の主人公、田中は最初から完成されていた。

田中が懐いている先輩、峰岸は女性管理職5割計画を進めていた。

そしてロールモデルがいないという問題に直面する。

会社で初の女性役員になった峰岸がロールモデルなのではないかと思うが、ハイスペックすぎるから「峰岸みたいになるのは無理」という意見が浮上。

そこで田中は世界1ハードルの低いロールモデルになってみせますと豪語する。

しかし、田中はハードルの低いロールモデルではない。

どんな部署に配属されようとも成果を出し、軽々と別の部署に移動していく。人を疑ったりせず信じ抜く。少しはめげることもあるけれど、すぐに立ち直り仕事の問題解決に勤しむ。

同僚も上司も、こんな人がそばで働いてくれたらいいなと思わせる田中という人物は、峰岸よりもファンタジー性をおびたハイスペック人間なのだ。

主人公はファンタジー性をおびているが、「悪女」というドラマのストーリーは決してファンタジーではない。

何十年も変わらない男性100%の役員人事、その傍らでやる気をなくし「どうせ変わらない」と思いながら働く女性社員の白けた目。立場が危うくならないように虚勢を張る男性社員たち。共働きで家庭内の家事育児を妻に押し付けている夫が、実は子持ちの部下の分まで働いている事実。そして、峰岸と田中が奔走した女性管理職5割計画の行方は描かれないまま最終話を閉じる。

一方、「クイーンズ・ギャンビット」という作品にはジェンダー的対立はほとんど書かれていない。

1,950年代〜60年代のアメリカが舞台になっており、実際は今現在よりジェンダーギャップがあった時代だとは思うけれど、そこに焦点を当てていない。

ベスは言う。
「ボード上で決着をつける。」

対戦者は最初、ベスのことを「ただの女」としか思っていなかったとしても、対戦の中身に魅了されていく。そして負けると、ベスを素晴らしいチェスプレイヤーだと讃えるのだ。

ベスにとって最強の対戦相手ボルゴフは、彼女を最初からチェスプレイヤーとして見ている。

ボルゴフは言う。
「彼女は我々と同じで、負ける選択肢がない。」

ボルゴフは奥さんと子供がいてロシア人で生真面目な人物だ。独身の若い女性でありアメリカ人で酒におぼれたりするベスとは、全く違う種類の人間に見える。

しかし、チェスの対戦ではその違いは全て無効になる。

ボード上で勝つか負けるか。
それが全てなのだ。

ベスが大会で初めて優勝したとき、インタビューでこう答えている。

「チェスは競争だけじゃない。
チェスは美しい。」

この作品は「二項対立を無効化したボード上での対戦は、美しい」と証明してくれている。

このように書くと、アメリカは希望を描けるけれど日本は残酷なリアリティしか描けないのか、と思われたかもしれない。

しかし、「悪女」の見どころは、長らく変わらない日本のジェンダー観ではない。

田中のプレゼンなのだ。

コンペでなくても、取引先でなくても、指示されなくても、田中はプレゼンを行う。

ときにたった1人の社員にたたみかけ、ときに呼ばれていない会議に乗り込んで、ときに全社員に向けて。

その結果、自分の殻に閉じこもった社員がやったことのないことに挑戦して成果を上げたり、虚勢を張っていた上司が素直になって部署の空気が良くなったり、女性に対しての決めつけが強い男性社員に考えを改めるきっかけを作り、プロジェクトを成功に導いたりする。

田中のプレゼンには、ジェンダー的主張や新旧を比較するようなものはなにもない。

「クイーンズ・ギャンビット」と同様に、田中のプレゼンもまた二項対立の無効化に貢献している。

見るべきものは対立ではなく、対立を無効化するものなのかもしれない。

それが何なのかは、この2つの作品が教えてくれる。

たとえ偏見を持っていたとしても、たとえ異性のことが気に食わなくても、その人の思想が自分と合わなくても「思わず讃えちゃうもの」が存在する。

ベスはチェスプレイヤーとして、田中はプレゼンを披露して「讃えちゃうもの」を具現化させる。

私たちはチェスの天才でも破天荒な新入社員でもないかもしれない。でも、彼女達の周囲の人々が何を讃えていたのかを観ることができる。

そして、彼女たちを真似することもできる。

その時々に髪型を変え、好きな服を着て、時に仕事に没入し、よく動き、よく食べ、はつらつと二項対立の外へ飛び出し、話したいことを話す。

私たちはそれを謳歌することができる。
どんな性であったとしても。



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