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【ぶら近所】ゾウのはな子像

 吉祥寺駅の北口の前、バスロータリーの真ん中に島のような広場がある。緑の植え込みが取り囲み、ベンチも置かれている。その傍らに「ゾウのはな子」の銅像がある。

 はな子はかつて都立井の頭恩賜公園に隣接する井の頭自然文化園━━私たちは単に「井の頭動物園」と呼んでいる━━で飼育されていた。

 1947年タイで生まれ、1949年に来日。元の名前はカチャーといった。最初は上野動物園で飼育されていた。
 はな子という名は戦前上野動物園にいた花子からつけられた。上野の花子は戦時中に餓死させられた「かわいそうなぞう」である。ゾウのいない日本の動物園に、タイの実業家が私財を投じて寄贈してくれたのがカチャーだった。

 上野動物園にはインドからインディラというゾウも贈られ、二頭は人気者になった。
 1954年、はな子は井の頭動物園に移る。そして2016年5月26日に死ぬまで64年間そこで過ごすことになる。

 筆者が最初に花子に会ったのはいつだろう。子供の頃は親に連れて行ってもらった。
 中学校の野外授業で、絵を描きに行った時もあった。
 高校のときは一人で行き、行けば必ずはな子を見に行った。

 社会人になった80~90年代は仕事が忙しすぎて生活に余裕がなく、あまり行っていない。
 21世紀になって……う~ん、一度くらいは行ったかな。もうその頃になると、はな子は骸骨のように痩せてしまい、なんだか痛々しかった。ずっと、体を揺らして檻から外に出ず、つまらなそうにしていた。

 ゾウはファミリーで暮らす動物。でもいつも一人ぼっちのはな子は、遊び相手もなく、コンクリートで固められた味気ないせまい場所で60年以上過ごした。

 その間には人を踏んで死なせるという事故が二度のあり、「殺人ゾウ」というレッテルを貼られ、足を鎖につながれて、それでも客の前に展示され、客から石を投げられて、ストレスで食事ができなくなりやせ細ってしまう時期もあったという。今では考えられない動物虐待である。
 ゾウは賢く繊細な生き物だ。生まれた時から人に育てられたはな子が人に危害を加えたとすれば、それは人のほうが不注意だったということだ。


 はな子が死んだときはニュースにもなり、多くの人が空のゾウ舎の前の献花台に花を手向けていた。筆者は行かなかった。ずっと時間がたってから、一度だけ動物園に行き、少し離れたところからはな子のいたあたりを見た。

 ……こんな狭いところでな。

 ほんとに、小さいころ親に連れてきてもらったときと、まったく変わらない風景。
 ゾウ舎に限らず、井の頭動物園はどこもかしこも古びていて、それぞれの飼育場所も狭くて、生き物にとってお世辞にも良い環境とは言えない。
 飼育員さんはきっと愛情をもって世話をしているだろう。でも、この環境はどうにかならないものか。これが日本の首都の動物園なのだから、恥ずかしい。井の頭動物園は嫌いじゃないだけに、いつもやるせない気持ちになる。

まるまるとして、元気なころのはな子

 はな子の銅像は2017年5月5日のこどもの日に除幕式が行われた。武蔵野市出身の笛田亜希氏が9か月をかけて制作したという。当時、はな子が死んでまる1年もたたないうちに銅像ができたと聞いて、「早っ!」と驚いた覚えがある。

 台石には「井の頭自然文化園で愛されたゾウのはな子」というプレートがついている。
 愛された━━。まぁ…、そうかもね。彼女はどう思っていたのか知らないけどね。
 ちょっと、シニカルな気分になってしまった。
 結局、はな子が幸せだったかどうかははな子にしかわからないのだ。

 ところで、この像はどうしてここに設置されることになったのだろう。駅前の広場ということで、渋谷の忠犬ハチ公像のように、待ち合わせのシンボル的なねらいでもあったのか。

 残念ながらこの場所は、島のように分離されていて、わざわざここへ行くには横断歩道を渡らなければならない。しかも、サンロード商店街などメインの商店街に向かう人は、たいてい別のルートを歩く。
 多分、吉祥寺を地元にしている人以外に、ここにはな子の銅像があることさえ気づかないのではないだろうか。
 駅の入り口とか、公園の中だったら、もっと注目されていたと思う。

 もっとも、はな子ももう人前にさらされるのは勘弁してほしいと思っているかもしれないけれどね。


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