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サービスの上限は設けなければならない

飲食店でも映画館でもマッサージ店でも販売業でも介護でも、どんな業種業態であったとしてもサービスを提供し、その対価をもらっているのなら、その提供するサービスの内容には上限というものを設けなければならない。

過剰なサービスを行うことで顧客からの信用を得ることができたとしても、その過剰なサービスによって得られた信用であれば、それは会社としていずれ不利益を被ることになる。

顧客側の立場に立てば、その時に事業者が提供したサービスは標準的なものであろうが過剰なものであろうが関係なく、自分に提供されたサービスだということを認知してしまう。
そして、以前受けたサービス同等のものを提供されることが当たり前になってしまう 。

そして本来提供すべきサービスを提供した時に、以前のサービスと比較して そのサービスが低いものであったとするなら当然のようにクレームとして現れてくる。

私も 以前同じような経験をしたことがあるのだが、システムのインストラクションのマネジメントを行っている際、1人のインストラクターが 自社のシステムのインストラクションだけでなく、他社が納品したシステムのインストラクションまで行っていたことがあった。
挙句には 顧客の会社全域にわたる ネットワークの保守という非常に重要なサービスまで個人のインストラクターが勝手に無償のサービスとして提供していたという事実まであった。
仮に顧客側のネットワークの障害で何らかの問題が出た場合、当時の当社が責任を負わなければならないようなことにもなってくる。
顧客へ訪問し、以後同じようなサービスが提供できないことを告げた時に、そのインストラクターの名前を挙げ、以前は○○さんはやってくれたのになんで会社でやってくれないんだ、という大きなクレームになった。
非常に残念ではあったがそのお客さんとの関係を切らざるを得ない、という判断をしたことがある。

顧客へ提供するサービスは、そこに所属する従業員が押並べて同様のサービスが提供できるような基準を設け、そしてそのサービスの提供できる幅というものを顧客に周知をする必要がある。これによってサービスの平準化と、従業員の評価基準も概ねできる。

そしてその周知したサービスの内容を超えるサービスの要求があった場合には、断固として断る必要があり、それによって顧客との関係が悪くなったとしても、その従業員を責めることはできない。

最近 少し話題になっていた車椅子ユーザーが映画館を利用した際に、以前はスタッフが車椅子を持ち上げてくれたのに以後はできないと言われた、ということをXでつぶやいたところ、炎上していたというものがあった。
もし仮に本当に劇場スタッフが 車椅子を持ち上げるという行為をやっていたとするのなら、その映画館の中での規定というものがあろうがなかろうが、親切心ででも行うべきではない。
なぜかというと、車椅子を持ち上げるという行為のリスクは、親切心だけでクリアできるような問題ではないからだ。

これに限った話ではないが 素人が親切心によって過剰なサービスを提供することが、ひいてはその利用者に対して大きなリスクを負わせてしまうということにもなる。
規定があるに越したことはないが、規定があろうがなかろうが 一人の大人としてすべきこと、すべきではないこと、という判断をしていくということも求められる。


結結局のところ、組織でどんなに ルールや規定を定めたとしても、それを逸脱した要求をしてくる人がいる以上、一人ひとりの従業員が、ルール・モラル に照らし合わせて一人ひとりの価値基準・判断基準で物事を区別していかなければならないということだ。


ひとりの大人としての道徳観を試されているんだよ。


知らんけど

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