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人の本質は罰と恐怖と自尊心です

なにかを成し遂げようとしたときに、目的や目標を明確に設定することが大切なことになる。

なにかを継続するためには、明確な目標設定が必要だ。

もちろん↑↑↑が大切なことだということは当然だ。

私自身も↑↑↑のようなことは常に口にしてきている。

ては、こう考えてみよう。

○○を1年間継続するためには、明確な目標設定をしなければならない。
なんだか合っているような気がするが、これを十分条件の確認をしてみるとこうなる。
明確な目標設定をすれば、○○を1年間継続することができる。
おや?なんだか継続できるのか?というように見えてくる。

なにかを成し遂げようとしたり、継続しようとしたりしたとき、最も効果的で、高確率で成し遂げることもでき、持続させることができる方法がある。

罰と恐怖と自尊心でコントロールすることだ。

今の時代、ナンセンスだと言う声も聞こえてきそうだが、事実だから仕方がない。

少し話は変わるが、人の性というものがある。

例えば、ボーナスが3ヶ月出たとしよう。
これを、『3ヶ月も出た』と考える従業員と、『3ヶ月しか出なかった』と考える従業員がいる。
このとき、次のボーナスは4ヶ月貰えるようにみんなで頑張ろう!と一致団結するが、一人ひとりの心理は間違いなく違う。

『4ヶ月貰うために頑張ろう』

『3ヶ月で上等やん』

『別に2ヶ月でも構わんけどね』

結果、3ヶ月しか出なかったとして、内心

『ちくしょう!』

『3ヶ月出たんだから上出来』

『多けりゃいいってもんじゃないが、2ヶ月より多くてラッキー』

明確な目標設定をしても結局こうなる。明確な行動計画をたて実行してもこうなる。

そして、目標が達成できなくても、『まぁ満額でなかったけど、これだけあればよしとしよう』なんて、できなかったことよりも、そこそこ出たことに喜びすら感じてしまう。


では、こういうのはどうだろう。

今期、これだけの成果を出せなければ降格される。という恐怖。

この恐怖だけで、どうにか頑張れる人もいる。
しかし、これが恐怖にならない人もいる。役職手当がなくなり、立場も平社員にはなるが、別に生活に困ることもないし、面倒臭い役職者の仕事がなくなるだけありがたい、と。

今期これだけの成果を出さなければ降格になり、部下の○○君が主任に昇格する。現在の部下の部下になるという恐怖。いや、恐怖というよりは、自尊心へのアプローチ。

自尊心を保とうと頑張る人もいる。
それでいいと考える人もいる。

なにが言いたいか。

自尊心や恐怖が努力の源泉になる人もいれば、そうでない人もいるから、よく見極めようってこと。

しかしだ!!ここまでは、結果に対しての話だ。

重要なのは、結果が出るまで、結果を出すまでのプロセスだ。

目標を達成するまでの短期間や毎日のプロセスで、『罰』『恐怖』『自尊心』へのアプローチがあると、結果が自ずと変わってくる。

基本的に、役職者や経営者は、結果がすべてという面がある。
しかし、結果がよい行動を生み出すとは限らない。

よい結果を出したいのなら、その結果を出すためのプロセスを厳しく管理監督する必要がある。

仮に、1時間に30個の作業が必要なときに、29個にならないよう、監視をしたらどうだろう。

仮に、入浴介助がしっかりとできていることを、こっそり覗き見、できていなかった場合、厳しく叱ったらどうだろう。

人はなにもしなければ悪いことをする生き物、という性悪説が必要。

誰かに見られている、できなければ罰がある、やれなければ自尊心に傷がつく。
このプロセスを経て初めて、人は自律することができる。

今の時代、ハラスメント=悪、ということが風習化されているが、実際のところ、この風習が人の成長を阻害し、社会や会社の成長を止めてしまっている。
適度なハラスメントは、5年後10年後の感謝を生み、大いなる成長を生み出すことになるということを認識しなければならない。

先日、36年前の私の給与明細が出てきた。
現在の高卒初任給平均と比べても、5万円ほど安いくらいだ。
それだけ社会の成長が止まっているということだ。

罰しない、叱らない、褒めて育てる、そんな社会がこうしてしまった。

だからと言って、昭和平成初期のやり方に戻すわけにも行かない。

目標設定だとか、目的意識だとかではなく、必要なことが必要なだけできるように、仕事を明確にして、そのプロセスを監督し、罰と恐怖と自尊心へのアプローチをすることで、現状を打破しよう。

そして、できる限りリアルに自分の10年後の姿を想像させよう。
それが恐怖や自尊心へのアプローチになり、罰が恐ろしいものだと認識させよう。


なによりも!
恐怖心は実力以上の行動を生み出し、誰かのための結果に繋がる。
自尊心を傷つけられまいとして行動する者は、必死に行動する。
罰が恐怖となり、新たな行動を生み出す。
これをどこまで深く理解するかが、肝要なのだ。


そんな感じ。


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