やっぱり皮がスキ 29

M⑩

「マドカ、起きて。そろそろ出発しよう」
 肩を突かれて目が覚めた。
「ん・・。何時?」
「もう11時30分です」
「11時? 11時30分?」
 11時って何? 7時30分には家を出なきゃいけないのに。やばい遅刻だ。遅刻どころか無断欠勤だ!
 と焦ったところで、優し気な表情のジェフの顔が映る。
 そうだった。いまは永遠の夏休み中で、千葉県のスーパー銭湯だ。
 待合わせは13時だからまだ余裕はある。異動に30分、お昼は待合わせのダニーズで食べる。
「そろそろ行かなきゃね。メイクしてくるからちょっと待ってて。ハヤトくんは?」
 ジェフは窓の方を指さした。
「ハヤトは外で遊びます」
 芝生の上でジェフにもらったフィギュアを手に翳している。「キィーーーン」とか云ってるのかしら。やっぱ子供は無邪気だな。
「すぐに支度してくるから、ハヤトくん連れて来ておいて」
 そう云い残してトイレへ向かう。初対面のハヤトくんの伯父さんに、ノーメークの面を晒すわけにはいかない。
 鏡に映った自分の顔をチェックする。あぁ、眼の下に隈できてるな。あんまり寝てないし仕方ないか。
 眼の下を入念に、他はササッとファンデを叩いて、リップを塗って、アイラインと眉マスカラでOK。あっという間にスッピン風メイクの出来上がり。うん、隈はうまく隠せた。
 ロビーに戻ると、ジェフはハヤトくんと一緒に窓の外から手を振っていた。親子みたい。でも白人のお父さんと東洋人の子供。じゃあお母さんは東洋人ね。わたしがあそこへ行けば、わたしがお母さんに見えるかしら。
 いやいやいや、いくらなんでも10歳の子のお母さんには若すぎるでしょ? お姉さんの彼氏と一緒に遊びに来た年の離れた弟よ。そうに違いないわ! と強く自分に云い聞かせながら二人の元へ急ぐ。

 ダニーズ留山店に着いたのは、12時を少し廻った頃だった。お昼時だし混んでいるかと思ったけど、待ち時間なく席に着けた。
 何にしようかな。皮目が香ばしそうなグリルチキンに惹かれるけれど、昨日からカロリー過多だからなぁ。夜はしっかり食べたいし、ここは豚しゃぶ夏野菜サラダで我慢するか。
 ジェフとハヤトくんはハンバーグとサイコロステーキの載ったグリルランチを注文し、わたしがサラダだけを頼むとジェフが心配そうにわたしを覗き込んだ。
「食欲はありますか? 気分が悪いですか?」
「大丈夫。昨日から食べ過ぎだから、ちょっとセーブするだけ。夜はしっかり食べるから」
「節約とは?」
「いや、節約じゃなくって、ダイエット」
 尚もジェフは食い下がる。ハヤトくんは呆然とわたしたちのやりとりを眺めていた。
「お金のことは心配しないでください。マドカにダイエットはいりません。もっと食べた方がいいです」
 いやいやいや、男はみんなそう云うけど、真に受けるほど若くはないわ。
 必死で説得して、わたしはサラダだけで我慢した。一つ云えるとすれば、毎日タダで野菜食べ放題の農家の娘が、サラダに千円も支払うことの無念さだけだ。これより新鮮な野菜が、トランクには山積みになっているというのに。
 ハヤトくんも頑張って残さず全部食べ終えて、お腹一杯になったのか口数も少なく全員ボンヤリしていたところへ「ハヤト!」という男性の声。
「ケイおじさん!」
 ハヤトくんが立ち上がった。
 眼鏡を掛け紺色のポロシャツを着た瘦せ型のアラフォー男。街ですれ違ってもフォーカスすることは絶対にない、どこにでもいそうな普通の人だ。
 わたしも立ち上がり、ハヤトくんの隣を空けてジェフの横に座る。
「はじめまして、オカモトマドカと申します。こちらはジェファーソン・・・なんだっけ?」
「ジェファーソン・ジェンキンス・ジュニア。ジェフと呼んでください」
 ジェフが大きな手を差し出して握手を求めた。伯父さんもそれに応える。やっぱり白人が握手する素振りは様になる。
「ハヤトがお世話になりました。伯父の佐藤圭一です。ハヤトは大人しくしてましたか?」
 平凡そうな伯父さんが友好的な笑顔で云った。一見オタクっぽいけど、社交性はありそう。
「はい。とっても良い子にしてましたよ。ねぇハヤトくん」
「うん」
 と返事をしたハヤトくんが手に持つオモチャに気が付いた伯父さんが興奮気味に云った。
「ニューガンガル・フルバーストじゃないか!」
 やっぱりオタクだったんだ。
 愛媛からクルマは大変だったでしょ? 疲れましたけど、でもいろいろ見れて愉しかったです。でも夜通し運転されたんでしょ? いえいえ適当に止まって眠りましたから。的なやり取りを一通り終わらせた後、伯父さんがジェフに話題を振った。
「ところで、ジェフさんは僕になにか聞きたいことがあるとか?」
 それまで黙って聞いていたジェフが喰い気味に反応した。
「はい。私は実際に技術者を探しています。ねえ、ここでどこまで話せますか?」
 翻訳機の声に伯父さんが反応した。
「へえ、翻訳機ですか? でも精度がイマイチのようですね」
 そこから後は英語で喋った伯父さんの言葉を翻訳機が翻訳した。
「私は少し英語が話せるので、これは必要ありません。」
 するとジェフは嬉しそうに何やら話し始めた。
「本当ですか? それは助かります・・・」
 翻訳機が翻訳する言葉に重ねてジェフは話し、伯父さんも英語で返すので翻訳機が追い付かなくなり、断片的に翻訳された言葉しか聞こえなくなった。
「・・・博士の鏡、・・・自立二足歩行、・・・最後の一人、・・・わたしの先生、・・・注文できない、・・・準教授、・・・シキシマ実験室、・・・ジャイロセンサー、・・・私用、・・・」
 わたしとハヤトくんは二人の会話を眺めることしか出来なかったけど、ジェフがどんどん前のめりになっていくのが判った。ちょっと興奮しているみたい。
 やがて伯父さんが取り残された私たちに云った。
「一度、ウチに帰ってから、僕とジェフさんは研究室に行こうと思います。ジェフさんの探しているモノが、うちの研究室でなら何とかなるかもしれないから」
 するとハヤトくんが不服そうに答えた。
「僕も一緒に行っちゃダメ?」
「ゴメン。部外者は知らない方が良さそうな内容だから。それに家でメグおばさんがケーキを焼いてハヤトが来るのを待ってるよ」
「判った。でも帰ってきたら、僕のスピードスターも見てよ」
「OK。岡本さんもすみませんが、僕の家で待っていてもらえますか? 僕が云うのも何ですが、妻のケーキは美味しいですから」
「わかりました」
 人の家で時間を潰すと云うのは気苦労しそうだけど、米軍絡みのヤバい事情もありそうだし、何よりジェフの望みが叶うのなら仕方ない。それにしても家でケーキを焼くなんて、お菓子作りが趣味の優雅なマダムなのかしら。
 ダニーズを出て、みんなでクルマに乗りほんの二、三分で伯父さんのマンションに着いた。マンションというかアパートなのかしら。二階建てで各階二部屋ずつしかない。
 伯父さんにも手伝ってもらってお土産の産直野菜を部屋に運び込む。
「いらっしゃいませ。凄い荷物、えっ、美味しそう!」
 メグミさんという奥様は明るい人だった。段ボールから覗くトウモロコシやナスを見て燥いだ。まだ挨拶もしてないのに。
 家に上がらせてもらい、挨拶を済ませリビングに腰を落ち着ける。2LDK。リビングは10畳くらいだろうか。
 わたしが室内を観察していると、キッチンから伯父さんとメグミさんの会話が聞えて来た。
「ちょっとジェフさんと研究室に行ってくるよ」
「すぐ出るの? お茶くらい飲んでからにしたら?」
「ダニーズで飲んできたから」
「そう。じゃあケーキは残しておくから」
「うん。頼むよ」
 伯父さんがリビングに戻ってきて、「レッツゴー、ジェフ!」的なことを云うと、ジェフも嬉しそうに立ち上がった。
「夕方までには帰るから」と云い残して二人は出ていった。
 入れ替わるように、ティーカップと大きなケーキをトレーに乗せたメグミさんが来た。
「チーズシフォンを焼いてみたんだけど、お口に合うかしら」
 ホールから切り分けたケーキは、これでもかというほど香ばしい匂いを振り撒いた。
「いい匂い」と思わず零れた。
「食べてみて」
「いただきまーす」
 遠慮も躊躇いもなくフォークを手に取ったハヤトくんが一口含んだ。いいな子供は。
「美味しい! フワフワだ!」
「マドカさんもどうぞ」
 紅茶を煎れながらメグミさんはわたしにも勧めてくれる。
「じゃあ、いただきます」
 遠慮気味にケーキを一切れ掬い、口に含む。
 うわーっ、溶ける! 同時にチーズの香りと優しい甘さが口の中に拡がった。
「美味しい!」
「良かった。でも、うまく焼けたから、ちょっとは自信あったんだよね。うん、美味しい。よく出来てる。」
 自らも一口頬張ったメグミさんは自画自賛した。
 でも、これだけのモノが作れれば、そりゃ自画自賛するよね。
「ホントに美味しいです! こんなに美味しいシフォンケーキ食べたの初めてかもってくらい」
 少なくとも土居、いや四国中央市にはこんなに美味しいシフォンケーキは存在しない。
「そんなオーバーな。でも、割と簡単よ。作り方教えましょうか?」
「教えて欲しいです!」
 興奮気味に返事をしていた。そりゃそうだろう。こんなの作れたら女子力爆上がりじゃん。

『やっぱり皮がスキ 30』へつづく


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