雑記と私#61:熱情の律動 ~Ardent Rhythm~
『熱情の律動』。
RPG”ロマンシング サガ-ミンストレルソング-”の
イベント戦闘のシーンに使用されているBGMだ。
ゲーム中のBGMとしては大変珍しいスキャットと
フラメンコギターを中心に奏でられる、まさに
曲名通りの情感溢れるメロディアスな1曲。
SAGAシリーズで一躍有名になった伊藤賢治氏の
代表作と言っても過言ではない名曲であろう。
本題に入ろう。
先日自己紹介的なものとして”100の質問”に
解答したものを記事とした。
その中の1つがこちらである。
私の恋愛観は
「”追われる”よりも”追い続けたい”。」
「”想われる”よりも”恋い焦がれていたい”。」
というのが根幹にある。
とはいえ、すっかり中年太りのオッサンがそんな
情熱的な恋愛なんぞ、 今さら出来るわけでもない。
”相方”もいるし。
ただ、根っこにあるものはそうそう変わる事は
なく、そうした想いは長年どこかしらでずっと
燻り続けていたのだろうか。
ある方が書かれた”詩”がそんな想いを揺り起こした。
この”詩”の内容、私の「実体験」と驚くほどに
リンクしている。
これを目にした時に思い出してしまったのだ。
イタいくらいに切ない、今にも手が届きそうで
でも届かない、そんな身を焦がされるような
あの感覚。そしてそれが”今も”抜けない。
”相方”とはそこそこ長い付き合いになる。
キッカケも割と「なし崩し」的なものだった。
追う事もなければ追われる事もなかったわけだ。
偶々同じ道を行く事になった2人が、そのまま
歩調を合わせてゆっくり歩いている。
それはそれで良い事だろう。
実際、今の私には些細な事を除けば不満はない。
だが、かつて経験したあの”痛み”は今もなお
私の中で脳や神経回路を焼き切ろうと燻っている。
まるで麻薬のように。
浮気とか不倫とか、全然理解出来ないものだった。
今ならその感覚も何となく分かる気がする。
「その身を焦がすような」何かを求めて。
そう思うと少し怖い。
最近ずっと過去の恋愛の事ばかり考える。
だからこうして書き出して成仏させようと
吐き出せるものは吐き出す事にした。
今必要のない火種はいい加減消してしまって
ただの”記録”に留めてしまいたいのだ。
少し話を変えよう。
”追う側”というのは、実は結構「無責任」だ。
というのも、
それを受け入れてペースを合わせるのか。
追われるがままに自分のペースで走り続けるのか。
はたまたコースを変えたりして逃げてしまうのか。
その選択肢はすべて”追われる側”に押しつけて
しまうからである。
それだけならまだいい。
追いついた後も”追われた側”が常にペースを
コントロールし、”追いついた側”はただ
それに任せっきり。
ここまで来ると”依存”になってしまう。
”追う側”もなるべく相手のペースに近づく努力は
しなければいけないし、追いついたなら今度は
自分がペースメーカーになって相手をリードする。
それくらいの気持ちでないと上手くいかない。
お互いが相手に合わせながら、時に手を引かれ、
時にはリードし、より速いペースで一緒に
走れるように切磋琢磨していく。
そんな関係こそが理想的なのだろう。
ン十年前に気づきたかったよね・・・。
さて、こちらは『熱情の律動』のライブでの
演奏の模様である。
岸川恭子さんの情感たっぷりのスキャット。
向谷実氏の奏でる情熱的なフラメンコギター。
この2人の”掛け合い”を軸に、各ソロパートでは
その奏者を引き立て、あるいは自らのパートに
存分にその表現力を叩きつけ、フィナーレでは
各パートが絶妙なバランスで1つのハーモニーを
作り上げる。最高のアンサンブルとなっている。
どちらが前に出過ぎても引きすぎてもいけない。
追う派も追われる派も、クライマックスに向けて
ひとつになっていかなければ、いい結末は
迎えられないだろう。
特に追う側は大変だ。追われる側よりも努力が
必要になるのだから。
最後はオーケストラバージョン。
こちらはフラメンコギターが入らないのだが、
その分オーケストラならではの重厚感がまた
いい味を出している。
この演奏で素晴らしかったのは岸川恭子さん。
その圧倒されるほどの声量はもちろんなのだが、
観客席に手拍子を促し、オーディエンスを
”1つのパーカッション奏者”として演奏に
組み込んでしまい、会場を一体化させた。
その様子を受けた指揮者や楽団の皆さんの
思いも掛けないような楽しそうな表情が
全てを物語っている。
この演奏、初めて見た時は涙が止まらなかった。
そこには心を震わせるものが確かにあったのだ。
それはあの「恋い焦がれる想い」に近しいもの
なのかもしれない。
私の中の『Passionate Rhythm(熱情の律動)』に。
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