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雑記と私#56:お賽銭

この一両日
イタかったり泣けてきたり
スッキリしたり大笑いしたり
フィジカルもメンタルもぐっちゃぐちゃだ。

こんな時、人は藁にもすがる思いで神様や
仏様に願い事をしたり、救いを求めたり
するのだろうか。


さて、神頼みといえば”お賽銭”である。
おそらく多くの日本人がその意味合いを
間違えているであろうお賽銭。
みなさんは大丈夫ですか?

お賽銭は『後払い』のシステムだ。
神社仏閣に訪れた際に
「いつも守ってくださってありがとうございます」
「先頃は願い事が叶いました」
そうした日頃の感謝の気持ちを金銭にのせて
神様仏様に奉納するもの、それがお賽銭。

いわば神仏からの御加護に対する
『サービス料』を”後からお支払い”しているのだ。
なおこのサービス料、なんとサービスを
受ける側が”言い値”で支払うというシステム。
神仏とはなんと寛大なのであろうか。

ちょっとした皮肉っぽくなってしまったが、
お賽銭はその額が大事なのではない。
そこに込める「感謝の気持ち」、すなわち
信心こそが大切なのである。
そこだけははき違えてはいけない。

賽銭箱は神社だけでなくお寺にもある。
後述するイメージから「なんでお寺に?」と
思われがちなのだが、上記のように別に
間違いではない。
日本に伝わった仏教は日本古来からの
神道と結びついて「神仏習合」という
日本独特の宗教観として発展してきたために
なんだか色々とややこしくなってしまっている。


大多数の人が勘違いしているのは、初詣など
神社へ参拝した際にお賽銭を入れる
「タイミング」のせいだと思われる。

参拝の手順としては
①お賽銭を入れる。
②鐘(本坪鈴ほんつぼすず)を鳴らす。
※①~②は順不同。
③2礼2拍手1礼。
となる。

このお賽銭を入れるのがお参りをする”直前”に
なっているために、お賽銭を
「願い事を叶えてもらうために奉納するもの」
という誤解が生まれているのではないだろうか。

違うのである。
順を追って解説すると

①「先頃はワタクシのお願いを聞いてくださって
ありがとうございました」と”お礼”を支払う。
②清めの鈴の音で邪気を払いながら、神様に
「ワタクシが参りました」とお知らせする。
(玄関のインターホンみたいなもの)
③神様に敬意を評し、その上で感謝や願い事を
お伝えする。

これが参拝の手順とそれぞれの意味合いだ。
お賽銭は決して「お願いを聞いてもらうための
”チップ”」ではないのだ。

なので
「今日はどうしても願い事を叶えて欲しいから
奮発して○○円入れちゃおう!」
などというのは大きな間違いである。

神様としても
「うーん、そないな事言われてもなぁ・・・
結局は本人の心持ちとか努力次第で、ワシらは
ほんのちょっと”後押し”してるだけやからなぁ。」
てな感じでさぞやお困りになるのでやめましょう。
納めるなら願い事が叶ってからだ。


神仏は天界にも極楽浄土にも居なければ
神社仏閣の御本尊や御神体にも宿っていない。

それを信じる人の心に宿るのである。
御本尊や御神体はあくまでそれを写す”鏡”。
だから日々精進を怠ってはいけない。

つまり、そういう事。
私は常々そう思っているのだが、みなさんは
神様や仏様を信じますか?

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