クラブ活動と私#4:幼馴染のK君
なんでかようわからへんけど
なんかモテる奴っておらへん?
今回はそんな私の幼馴染のお話。
初詣の下見という名目で敢行されたダブルデートの
顛末は以前記事にさせていただいた。
この中で創作部のツートップともいうべき
綺麗どころの先輩お二方と私のヘタレっぷりは
少しばかり掘り下げてお話をしてきたのだが、
もう一人、私の幼馴染”K君”については
「なんかモテる」「超鈍感」くらいの事しか
ご紹介出来ていない。
せっかくなので彼の事も掘り下げていこう。
K君は私の幼馴染で幼稚園のころから同じ
学び舎に通う、”腐れ縁”ともいうべき親友である。
家族ぐるみでの付き合いもあり、特に母同士は
やたらと仲が良かった。
お父様のお仕事の都合で、小学校の6年間は
K君一家はお父様の地元、宮崎に住んでいた。
しかし中学でまた同じ学校に通うことになり、
『両家の母親とK君との結託』により
高校まで同じ学校に進学することに”させられた”。
通いたくもない塾に放り込まれ、年末年始を
勉強漬けにされ、冬休みを完全に潰された
あの一連の出来事を私は忘れはしない・・・。
彼は中学の頃からパソコン(PC-8801mkIISR)を
所持しており、プログラムを組んだり、ゲームを
楽しんだりしていた。
そんな彼が買っていた雑誌が”闘うパソコンゲーム
マガジン”『コンプティーク』である。
このコンプティークには和製ファンタジーの代表作、
『ロードス島戦記』のベースとなる誌上リプレイが
連載されていた。
これをK君を含め、同じクラスの気心の知れた
友達と毎月回し読みしていた。
その友達の中に、お兄さんが大学でD&Dを
プレイしているという”たく”がおり、
そのご縁でテーブルトークRPGを遊ぶ機会が
出来たのだ。この”たく”もやがて同じ高校に進学し、
同じく創作部に所属することになる。
少し話が逸れたが、ここからはK君の人となりを
見ていこう。
彼は一言で言うと「オモロい奴」である。
といっても、彼の面白さは話術であったり
仕草であったりというものではない。
まぁ口は達者なほうで話もそれなりには
面白いのだが、彼の真の面白さはそこではない。
いろいろと『ズレている』のである。
前述の通り、彼は一時期宮崎に住んでいた。
そのため”関西弁”と”宮崎弁”をチャンポンにした
ような感じで話す。
そのイントネーションの”ズレ”がまず面白い。
それ以外にも美的センスであったり、笑いの
ツボであったり、とにかくいろんなところで
周りとはちょっとずつ”ズレて”いるのだ。
本人はその事で笑いが起きると不思議そうに
首をひねるのだが、やがてそれを受け入れ始めた。
ある時、後輩の女の子の一人がこれをネタにした。
「Kさん、美的感覚がヘンなんですぅ~。」
このフレーズが創作部内で爆笑を誘った。
以後「Kさん、○○がヘンなんですぅ~。」は
定番化、その都度K君もそれに変顔で対応するという
一連の流れが鉄板ネタになったのだ。
決してイケメンなどではない、見た目はごく
普通の彼が創作部内ではやたらモテていたのは、
あるいはこうした一面にあったのかもしれない。
まぁK君が一番ズレていたのは、恋愛面に関して
あまりに無頓着なところではあるのだが・・・。
こればかりは私としてはまったく困ったものだった。
落としてばかりでは申し訳ないので、少しばかり
持ち上げておこう。
運動部でこそないものの、K君は運動神経がいい。
ただし球技にしろ何にしろ、そのフォームは
やはりどこか微妙にズレている。
他の創作部員同様、K組もまた頭の回転が早い。
先述の鉄板ネタも彼の即興の対応力が生んでいる。
ただしK君が歴史のテストで書いたある解答は
”明智 明光”。うん、何かズレてるね。
K君のお父様はダンディな雰囲気の”デザイナー”で、
彼もまたデザイナーを目指して勉強していた。
・・・それにしては選んだ高校ちょっと違わない?
愛読書は”菊地 秀行”氏の著書『吸血鬼ハンターD』。
私もK君に借りて読ませてもらった。名作である。
彼は同作で挿絵を担当する巨匠”天野 喜孝”先生に
憧れており、目標として頑張っていた。
卒業後は芸術系の大学に進学した。
なんだかんだで努力家である。
割とちゃらんぽらんな私とは大違いだ。
我が良き友、K君。
私が大阪を離れてからは諸事情で連絡も取れて
いないが、元気にしてるだろうか。
きっとまた今でもどこかでズレて”るんだろうなぁ。