ゲームと私[番外編]:活字とゲーム雑誌と文章力
先日かわぐちようじさんが新しい記事を
投稿なさっておられた。
その内容に関連して個人的に思う所があったので
今回はその辺りに触れてみたい。
かわぐちさんの記事の内容そのものとはあまり
関係のないものなのだが、これは私とこの
noteをつなぐ根幹の部分にも関わってくるものだ。
ファミコンが世に登場したのは私が小学校
高学年の頃だ。この後しばらくして、日本に
ちょっとしたファンタジーブームが訪れる。
それは『ドラクエ』であったり『ドルアーガの塔
(バビロニアン・キャッスル・サーガ)』であったり、
『Wizardry』や『Ultima』『ドラゴンスレイヤー』
シリーズであったり、紙面では『ロードス島戦記
(=D&®D)』であったりと、各方面でRPGが一斉に
華を咲かせた事に端を発していたように思う。
私はこれらを遊び、それが書籍化された小説などを
読み、さらにそこから『指輪物語(ロード・オブ・
ザ・リング)』『ドラゴンランス戦記』等の海外
作品や小説版ロードス島戦記、鈴木銀一郎先生の
小説『モンスターメーカー』など、色んな物を
読み漁った。
ファンタジーだけではない。
歴史好きな男子なら誰もが通る道である『三国志
(演義)』、耽美で背徳的な未来世界を描く『吸血鬼
ハンター”D”』、田中芳樹先生の不朽の名作である
『銀河英雄伝説』など、思春期を迎えた頃には
読む作品にはまったく困らなかったほどだ。
ここまでを見ると、私の活字との付き合いは
こうした小説たちがメインのように見えるだろう。
しかし、実際は少し異なる。
私が最も目を通したであろう活字媒体は他でも
ない、”ゲーム雑誌”である。
小説たちは確かに面白い。
色々な世界へと私を連れて行ってくれる。
しかしそれはあくまで”一過性”のものだ。
読み終えると一旦はそこで終了となる。
読み直すとしても、短い期間に何度も、とは
ならないのが普通だ。
ゲーム雑誌はそのペースがケタ違いだ。
当初季刊や月刊だったものが隔週刊となり、
週刊とまでなっていく。
家でもゲーセンでも常にゲーム三昧だった私に
とって、そこから得られる情報は”宝の山”だった。
『Beep』『ファミマガ』『ゲーメスト』『マル勝
PCエンジン』『ファミ通』『コンプティーク』…。
色んなゲーム雑誌を次から次へと食い入るように
読む。中高生には決して安くはないそれらを
買う以上、隅から隅まで読み尽くす。
友達から借りたものも全部読み倒す。
月に10冊近くを”読破”し、必要な部分は何度も
読んで攻略法を頭に叩き込む。
そしてゲームという戦場に向かうのだ。
読む量も回数も熱量も、小説とは比べ物にならない。
これが今の私の文章力を構成しているものだと
断言してしまってもいい。
特にわかりやすいのは『Beep』『ゲーメスト』
『ファミ通』の3誌だろうか。
これらの雑誌に共通するのは、記事に各ライターの
個性が色濃く反映されているところだ。
私の記事の書き方をよく見ていただくと、当時
これらのゲーム誌を見ていた方ならおそらく
「何となく書き方が似ている」という事に
気付いてくださるのではないか。
特に私が普段使う”だ・である”調の書き方。
私はこれを勝手に『”語り部”調』と呼んでいる。
本来の『語り部口調』とはある意味真逆なのだが、
ゲーム誌で”語り部”といえば・・・。
わかる方ならすぐにピンと来るだろう。
本格的に物語を書こうとするなら、こうした
文章力の身につけ方は当たり前だがオススメ
出来ない。ストーリーや構成・展開を練って
書き上げるなんて事は出来ないからだ。
ただ”文章を書く”、それだけなら案外これでも
充分やっていけたりするものだ。
もちろんプロにはなれないが。
ゲーム漬けの青春を過ごした結果、こんな
わけのわからない投稿者が生まれるとは
誰にも予想出来なかっただろうだろうだろう
(ブラスター残響音含む)。
こういう半世紀少年が居てもいいよね?