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ウルトラマラソン初めて完走しました!

※この記事の内容は2018年のものです。

急にやろうと思い立つ

 ちょこちょこ走っていたのが、だんだん走れる距離が伸び、マラソン大会に出るようになった。「完走できればいい」と思っていたのが、だんだん欲が出てきてハーフからフルへレベルアップ。

ランニングは速く走ることを目指す人と、長い距離を走るのを目指す人がいるらしい。私はどうも後者。「ウルトラマラソンは45歳までに挑戦しよう」とか、知り合いの60代の人が幌尻岳の登頂が刺激になったのか、北海道でできる大会を探したところ、7月下旬の浜頓別町の北オホーツク100㎞マラソンを見つけた。

Ⅰ本格的に始める前にしたこと

オクトーバーラン300㎞達成
 そもそも「ウルトラを完走できる下地はあるのか?」そう思って挑戦してみたのが月間300㎞だ。走った距離やカロリーを計算、管理するアプリの中に「TATTA」がある。このアプリが、毎年10月にアールビーズ財団が主催する「オクトーバーラン」というイベントと連動できるのだ。本格的なマラソンシーズンに向けて足づくりのため、どのくらい走ったかを全国のランナーと競えるという機能がある。雑誌のウルトラの記事を参考に目標を300㎞に設定した。これができなきゃウルトラは無理だろうと思ったのだ。昨年は250㎞達成できたので、「いけるんじゃないか」という漠然とした自信はあった。
 1日に換算すると毎日約10㎞走らなければ達成できない。悪天候の日もあるし、仕事で時間がやりくりできない日もある。平日走れる日は10㎞以上走るようにし、週末に遅れを取り戻すように30㎞以上走るように心がけたところ、10月30日に達成することができた。これで、「ウルトラは完走できるかも」「挑戦してみよう」という気持ちが固まった。

GPSウォッチ購入
運動の記録はスマホのアプリと使っていたが、距離の測定が正確ではないし、ウルトラなら10時間以上はかかる。バッテリーが持つかわからないので、思い切ってGPSウォッチを買った。年末にスポーツ店の2割引で買えるDMが届いたので、稼働時間が長く、今まで使っていたスマホのアプリと連携できるのが決め手で、GARMINの当時の最上位機種「For Athlete935」を購入。もう後戻りはできない。

コ○ミの会員になる
 北海道の冬は走れないわけではない。実際「-5℃以上なら、走る」と決めていた。しかし、それ以下の気温やそれ以上の距離となると、汗冷えして風邪をひきそうになる。折角10月に300㎞走っても元に戻ってしまうのではないかと思い、トレッドミルで練習しようと会員になった。利用するのは1~2月だけなので、その都度利用するたびに料金を払う会員になった。回数券もあり割引されるとはいえ、やはり、外を無料で走っている身としてはどうしても割高に感じる。時計と距離が合わないが、走るだけしか利用しないから、割り切るしかない。


Ⅱ大会に向けたトレーニング


練習メニューは「完全攻略ウルトラマラソン練習帳(岩本 能史)」という本の通りに行った。この本は「ウルトラマラソンを歩かず走り切る『完走』を目指す本。歩いてゴールするのは『完了』です。」と、すごいことが書かれている。例示されたメニューは、難易度に合わせてポイント換算できるようになり、すべて達成すると100%目標タイムを狙えるという仕組みで、途中でやめたらポイントは0。達成しないと獲得できないそうだ。「ウルトラに挑むとはそういうものなのか」と、何の疑いもなく納得し実践した。仕事の都合で、予定通りとはいかなかったが、8割を達成。曜日をずらして可能な限り消化することができた。

高負荷の練習を大会にぶつける。
 本番から逆算すると、GWあたりから練習が始まる。それまではコンディション維持でぼちぼち走り、本の通りに13週前から練習を始める。週末の高負荷の練習は大会に出場することにして、財布に厳しいが、給水してもらえるのと、ほかの人も走っているのでやめたくなる気持ちを抑えるメリットは大きい。
ちなみに今年出た大会は以下の通り。

○1月28日 スノーエンデュランスフェスティバル
スノーラン10㎞ 記録 59分41秒
スノーシューラン10㎞ 記録1時間48分34秒
旭川のカムイスキーリンクスで行う。スノーシューは頂上から降りるコース。そもそもスノーシューは走るための靴ではない!とっても過酷。

http://trailscene.net/pg466.html

○5月 5日 豊平川マラソン 記録 1時間49分01秒
  豊平川の河川敷を往復するコース。折り返しから上りになっていると気づかず、失速する人多数。苦戦するも自己ベスト更新

○5月20日 洞爺湖マラソン 記録 4時間43分46秒
ベビーカーに子供(本物)を乗せた若い女性が自分より速いペースで走っていた!

○5月27日 カムイの杜トレラン43k 記録5時間41分33秒
 当日まで天気が良く、ぬかるみもなく走りやすかった。悪天候・悪路なら心が折れていた。

○6月 3日 千歳JAL国際マラソン 記録4時間21分53秒
  給水以外ほとんど歩かず走ることができた。自己ベスト更新

○6月10日 びえいヘルシーマラソン 記録1時間48分53秒
 地元、美瑛高校がボランティアとして参加。コースが下りだったおかげで、自己ベスト更新。

○6月24日 鷹栖ジョギングフェスティバル 記録2時間8分53秒
 初めてハーフマラソンに挑戦した大会。前日の練習メニューが「60㎞走」だったので、タイムは悪いが、思ったより早かったし、完走できたので十分満足。

そのほか、「30K」という大会が札幌と旭川で行われたが、仕事の関係で出場できなかった。今振り返ると、旭川の大会当日は猛暑で、走るどころではなかっただろう。

Ⅲレース当日

浜頓別はオホーツク海側の小さな町で、当然宿泊施設の数も少ない。ツアーのページを見ると近隣の市町村のホテルからバスを出すプランもあったので、有休を取って隣の中頓別町の温泉宿を2泊3日で予約した。スタート地点の公園や1㎞程離れたクッチャロ湖のキャンプ場にテント泊の人、車中泊する人もいた。

7月22日の当日は、午前2時にホテルの食事済ませ、3時にホテル発。4時に現地に入り準備を整え、5時スタート。定員1200名と聞いていたが、せいぜい400名ほど。スタート前のランナー同士の会話から、ゼッケンには2通りあることがわかる。初出場の人には「ようこそ」と、リピーターの人には「おかえりなさい」と書かれており「こんな心遣いがあるのか」とうれしくなった。

スタート前の雰囲気は何とも和やか。こんなにのんびりした大会は初めて。ゆったりとしたペースで浜頓別の街を8の字に描くコースをスタートした。大会前「クマに注意」とか「アブ対策の虫よけ必須」と聞いていたが、全く心配なし。アブは今年たまたまかもしれない。エイドに虫よけスプレーが用意されていたので、使わせてもらった。

5時の気温は雨上がりで肌寒く、まだ薄暗い。クッチャロ湖を回って住宅街に入ると、早朝にもかかわらず小さな子からお年寄りまで沿道にでて応援してくれている。中にはハイタッチを求めてくる高齢者もいてとても感動した。ランナー同士「どこから来たんですか?」「風強いっすね」などと会話しており、自己ベストを狙うような普通のマラソン大会では、ギスギスしていているのでとても考えられない。

エサヌカの入り口

前半は名物「エサヌカ」の8㎞ある酪農地帯を走る直線。向かい風の浜風でペースが上がらず我慢の走りだったが、折り返して追い風になりペースを上げる。その途中で、今回で6回目の出場となるKさんに100㎞マラソンのコツを教えてもらった。Kさん曰く「完走を狙うなら簡単だよ」とのこと。この大会の制限時間は14時間。比較的達成しやすいという。そんなこんなで、S県のKさんとS市のHさんと私の3人で走ることになった。Kさんのコツは次のようなものだった。

1 追い風、下り坂、前半で頑張り貯金を作る。
今回のコースは丘陵地帯のアップダウンはあるが比較的平坦。前半35㎞まではフラットなので、ここで貯金を作る。登りは歩いても下りは走ってタイムを稼ぎ、浜風の追い風を使って走ると、体力消耗を抑えることができる。(経験者の話ではサロマのほうが平坦だそうです)

2 後半は「走る」、「歩く」を繰り返し、筋肉を休める
走るときと歩くときに使う筋肉は違うらしく、筋肉を温存できるという。ただし、普通に歩くと間に合わないので、Kさんはトレッドミルで1㎞/10分で歩く練習を積んできたという。電柱や道路幅を示す矢印を目安に200m走って100m歩くを繰り返した。(私はこのペースについていけず250m走って50m歩くを繰り返した)
こうすると、不思議とまじめに走っているランナーより速く走ることができ、抜かされることはほとんどなかった。これが後述のラストスパートにつながった。

3 残り何分で走ればいいか計算し、レース展開にゆとりを持たせる。
制限時間14時間とは「1㎞/8分24秒」で走ればいい計算。「今は1㎞/7分で頑張りましょう」「1㎞/12分で走っても5分余裕があるから、次休憩しましょう」などなど、Kさんは瞬時に計算し教えてくれる。見通しが持てると、体力的にはつらいが不思議と心に余裕が出てくる。Kさんはこの計算の見通しが持てるよう、1㎞/10分で歩く練習をしてきたのだろう。

4 無駄に立ち止まらない
60㎞の関門に時計があり、大会役員に記念撮影してもらった。時間にして約1分。気づくとすぐ後ろにいたランナーが、200m先を走っていて、挽回して追い抜くのにしばらくかかってしまった。戦略的に休むのはいいが、写真を撮ったり、エイドの人と無駄話をし過ぎたりすると、タイムも体力もロスする。

こうした小さなことの積み重ねが「塵も積もれば山となる」で、着実に前進し、タイムを縮めることができるのだそうだ。

この思わぬ出会いで、順調に走ることができた。もし1人で走っていたら心が折れ、ペースが上がらず完走できなかったと思う。「次出場するとき、初挑戦の人に伝授してほしい」とKさん。本当にいい人だ。

給水所はだいたい5㎞間隔で設置してあり、ボランティアの学生(酪農学園大学)もいたが、多くは地元の人たち。大漁旗を振ってくれた人、せっせとスイカを切ってくれたり、ゼッケンから名簿を見て「〇〇県の■■さん、がんばって!」と声援を送ってくれたりして、とても励みになった。みなさんが、早朝から夕方までサポートしてくださって本当温かい応援をしてくれた。
ゴール付近に近づくと「ゼッケン●●番、〇〇県からお越しの■■さん、今・・・ゴール!!」というアナウンス(小学生もやっていたみたい)が聞こえてくる。100㎞の旅ももう終わりかと思うと感慨深い。最後の力を振り絞ってラストスパートした。

記録は13時間を切ることができた。これは世界選手権の選考会を兼ねたサロマ湖100㎞の制限時間をクリアするタイムだ。本当に出場選手、地域の人含めすべての人に感謝の気持ちでいっぱいになれた大会だった。
ゴールすると歩くのもやっと。ヨタヨタとベンチまで歩き、恒例のシーフードカレーを食べた。急に冷え込んできたので、後夜祭に参加せず、ホテルに戻った。温泉に入って食事を済ませると、ガクッと体が重くなり睡魔が襲ってきた。寝返りを打つこともしんどく、明かりをつけたまま朝まで寝てしまった。まさに泥のように。

あとがき

Kさんは5回目の完走を果たし、ゴールドゼッケン(5回完走した人に贈られる称号)を獲得する。Hさんも私と一緒で初挑戦、初完走。その日のうちに帰るという、驚異的なことを言っていた。私は、達成感はあるものの1週間くらいは体の疲れが抜けず、数か月禁酒していたので、楽しみにしていたお酒も飲みたいと思えなかった。日焼けの跡が痛く、唇も日焼けすると初めて知った。

後日、大会HPの掲示板に大会に対する熱い思いを目にした。

今年も第8回北オホに参加させていただきましてありがとうございました。4000人に満たない町が挑戦しているこの北オホ、ランナーの皆様ならびに関係者の皆様にお願いがありましてUpさせていただきました。
自分はこの大会が大好きです。そして末永く続いていけることを切に願っております。自分が走れる限り毎年参加し、走れなくなったらボランティアでも参加したいと思っております。
この大会を通して、ボランティアの方々やランナー同士のコミュニケーションなど、普通の大会では味わうことができない貴重な体験をした。Kさんの気持ちはよくわかる。自分も走る喜びや楽しさ、沿道の人たちや大会運営の人への感謝の気持ちがわいてきた。いままでいろいろな大会に出場したが、こんな経験は初めてである。
しかし参加者が600人前後であることは周知のとおりです。浜頓別町役場のホームページをご覧いただくと分かるように毎年800万円ほどの補助金がこの大会に供されております。過疎の浜頓別にとって住民一人当たり2000円を超す額です。ランナー一人当たり15000円近く町の補填がある勘定です(大雑把ですが)。いまのままでは第11回が幻になりそうです。

北オホーツク100㎞マラソン公式HPの掲示板より

「とりあえず10回はやるが、それ以降は未定」ということか。となると、参加者が増えない、又は赤字なら大会が終わってしまうってこと?
参加人数が少ないのは感じていたが、「サロマの1か月後だし、100㎞走る人なんて少ないよな」「そもそもウルトラに挑戦しようと思う人はそんなに多くないよな。遠いし。」という認識だった。50㎞の部もそんなに多くないようで、Kさんの言うとおり、このまま参加者が増えなければ、大会の存続が危ぶまれる。

ランナーの皆様へお願いです:この素晴らしい大会をもっと多くの方にPRしていただけませんか?もし可能でしたら、ふるさと納税で浜頓別をサポートいたしませんか?

北オホーツク100㎞マラソン公式HPの掲示板より

私もこれに賛同し、雑誌やネットへの投稿、浜頓別に1万5千円ふるさと納税した。

今後は北オホのシャツを着て大会に出場し、「走る広告塔」になって宣伝しようと思う。この大会の良さを多くの人たちに知ってもらいたい、自分も何かしたいと思った。もし、ウルトラマラソンに挑戦してみたいと思った方は、ぜひ北オホーツク100㎞マラソンに挑戦してほしい。

北海道ならではの自然を走るのも北オホの魅力