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見えているものだけを信じちゃいけない



人って、案外表面だけでは測れないらしい。





Instagramのストーリーで
毎日楽しそうな日常をあげてキラキラしている人も、
実は凄く寂しくて、孤独なのかもしれない。



意識高い系のあの人も、
実はスケジュールに余白があったり、
無意味な時間を沢山過ごしたりしてるのかもしれない。



ヘルシーな食事でスレンダーな人も、
実は甘い物を沢山食べているかもしれないし、
加工を凝らした画像を投稿しているかもしれない。





目に見える物が全てな訳じゃない。
物事の本質は、なかなか見えないようになっている。







けれど、私達は、そんなこと頭では分かっていても、
目の前にある情報に飛びついてしまう。


人が出来ること、人の凄いところに目がいって、
それを自分の出来ないこと、嫌いな部分と
比べてしまいがち。









どこかに所属したり、何かを新しく始める中でも、
自分は何も出来ていない感や空っぽさを感じて、
いつもどこか焦っていて、物足りなくて、
満たされなかった。


“自分” を生きている人を見ては、
すごいな、羨ましいな、かっこいいな、
そう思って、妬んで、
でも自分とは生きる世界が違うんだと諦めていた。




でも、周りの声を聞けば、
何事に対しても行動力があって、
自分のやりたい事を突き詰めて、
理想的な生活を送っているようにも見えているらしく。





自分の認識との乖離に驚いた。



ああ、人って他人を見ると
そういうフィルターがかかるものなのかな。


誰しも何でもかんでも出来るはずがないのに、
自分にはない物を持つ人に意識が向きやすい、
その情報を拾いやすいだけなのかな。


ふと、そう思った。





それと同時に、
自分の何気ない日常や、大切にしている活動を、
密かに見守ってくれて、
応援してくれている人がいるんだな〜と、
暖かい気持ちにもなった。







だからもう、人のいいところばかりを見て、
上部だけの情報に踊らされて、
自分なんて、って思うのはやめないかい?






______とは言葉では言えるけれど、
結局この言葉を1番にかけたいのは
自分自身なんだろうな。

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