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王道による安心感って良いよね。~魚(うお)を得(え)て筌(うえ)を忘る~

インド料理が物凄く好きである。と、思っていた。味付けの癖なのだろうか、偏見なのだろうか、味が薄い気がする。私が好きなのはネパール料理なのかもしれない。インドに行くよりも日本で食べた方が旨いといわれるインドカリー。ライスよりもナン派そして謎のドレッシングである。

 どこでも似たようなものでほとんど変わらないところに水戸黄門やサザエさんと同じ安心感があるのだろうか。やはり変わらないというのは強みなのである。変われないのぢゃない。変わらないのぢゃ。弱みは強みなのである。

 ある種パターンがあるというのは仕事やプライベートでも強いと思う。そのパターンがあることで、逐一変形させていくことも可能だからである。同居したり、動物を飼ったりというのは自分のパターンを他人に決めてもらう良い例なのであろう。知り合いには毎週日曜同じ喫茶店で家族と会合という家庭もあるときく。なんだか素敵ではないか。私もそういう素敵なパターンが欲しいなと思いつつ週に一度はインドカリーを食べるのである。

本日のタイトル回収:《「荘子」外物から》魚を得てしまうと、魚とりの道具である筌は不要になり忘れてしまうように、目的を達すると、それに役立ったものの功を忘れてしまうというたとえ。


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