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あなたのメディアの嫌いなところは?


なんじゃ、こりゃあ。


原爆の父、オッペンハイマーは戦後、原爆を作った事を後悔し、ソ連の水爆に反対した。俺が思うにはなぁ。あれは原爆を作った後悔からじゃない。水爆に嫉妬したんだ。それが科学者だ。

土曜ドラマ「スニッファー嗅覚捜査官」スペシャル

これは「スニッファー、嗅覚捜査官」という2016年のドラマで主人公が発言した言葉である。この言葉はドラマの中では犯人を追い詰めるシーンの名言であり、美しく威厳のあるような言葉として扱われている。
そのときは私も「あ、なるほど。そういう考え方もあるか。」と少し納得させられたので今でも何気に記憶に残っているが、このドラマから約8年経った今、この言葉を見ると、到底受け入れられるものじゃあない。これを考えた脚本家はとても浅はかだったのではないか…?と思ってしまう。


個人的にメディアって多分こんな感じ。


ドラマや映画のエンタメの中では、「名言」を「名言」にするべく、最終的に主語を大きくするような発言が時々見られる。もちろんそれ自体は何も悪いことではなく、むしろ作品をエンタメとして成り立たせている要素もある。
メディアはその当時の社会情勢を反映・象徴してくれる一方で、それをステレオタイプとして出してしまうため、もともと消費者が持っているステレオタイプをさらに助長してしまうというリスクもある。
製作者側からすれば、その時の社会情勢を作品に取り入れないと数字が上がらず、その時代のエンタメとして成り立たなくなってしまうわけで、私たち消費者は作品にステレオタイプが入っている事自体は、あくまでエンタメであると承知したうえで受け入れるべきであり、少なくともその否定は間違っているのではないかと個人的に思う。

ただ、ちょうど一年前ほどに公開された実写版「リトルマーメイド」でアリエル役に黒人の女優が抜擢されたことで賛否両論の物議を醸したように、近年では昔のステレオタイプが残っている一方で、現在の固定概念を失くすべきであるという風潮もある。
ジェンダー、宗教、地域文化、環境問題などなど、製作者側にとってなかなか難しい時代になっただろうなあと感じる。



怒ってます。


リトルマーメイドから少し話がずれたが、では、エンタメにステレオタイプが入っていることは許容しながらも、先のドラマの発言を否定しているのはなぜか。

それは、虚偽からステレオタイプを生み出しているからだ。

具体的に言うと「オッペンハイマーが水爆に嫉妬したから反対した。」という虚偽の発言から、「それが科学者だ」というステレオタイプを作り上げていることである。
原爆をつくったオッペンハイマーは実在する人物で、遺族の証言や記録、さらに最近では彼が被害者に涙を流して謝っていた証言映像が見つかるなど、彼が原爆をつくってしまったことに苦悩していたのは事実である。
(これ、もし事実じゃなかったら、ちょっと恥ずかしすぎる…。)
2024年3月29日に日本で公開されたクリストファーノーラン監督作品の「オッペンハイマー」でも、彼の苦悩が強調されて描かれていた。

オッペンハイマー“涙流し謝った” 通訳証言の映像見つかる

NHK NEWS

例えば、ドラマの中のストーリーで、ウイルス研究者が部下の功績に嫉妬してバイオテロを起こした背景から「そうやって嫉妬するのが科学者だ。」みたいな流れは全然理解できるし、これが許容できる範囲のエンタメとしてのステレオタイプだと思う。
それを、現実世界の実在する人物のこと、さらにはそれが正しいならまだしも、間違っていることを用いて、エンタメの中であたかも真実のように話し、それをステレオタイプ化するということは到底許されるべきではない
(今回の発言の中には「俺が思うにはなぁ」と保険をかけているような言葉もみられるが、保険の域は優に超えてしまっていると思う。)



言葉って本当にこわい。


言葉というのは本当に恐ろしいもので、自分が一回その言葉にとらわれると、よほどのことがない限り、その意向に反したものに対して自然と排除性を持ってしまう。それがエンタメからくる場合、その影響力はさらに強いものになる。
これに関して、もちろん大前提人によりけりではあるが、少なくとも自分は一般的にそうなんじゃあないかと感じている。
エンタメを作る側はぜひここに気をつけて欲しいし、自分もSNS広報をする際やコンテンツを広める際は、言葉に細心の注意を払って活動していきたい。

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