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改【赤ちゃんと、社会】ふたつの時間は折り合えるのか

言いたいことが絡み合ってて、要素が多かったなと反省。前記事を修正いたしました。
ありがたいことに、私の拙い文章を「スキ」してくださった方がいらっしゃったので、前文も残させていただきます。感謝。

そして、この記事で取り上げたかったのは、やはりタイトル通り、【赤ちゃんと、社会】、このふたつの時間が摩擦が少なく重なる方法はあるのか、ということです。

何故このことを考えたか、というと…

そもそも私の体験上(現在進行形)、私を取り巻く時間は主に3つ。

・「私」という時間
・「赤ちゃん」の時間
・「社会」の時間

ちなみに私は、社会の時間にも、赤ちゃんの時間にもそれなりに合わせているつもり。
遅刻は時折するが、看護師として勤務をしていたし、今は赤ちゃんと共に昼夜関係なく授乳をしたり、おむつを変えたりしている。(5ヶ月になり、だいぶ昼夜ができてきた)

その上で、、
赤ちゃんの時間と社会の時間はどうだろう。

日本は特に時間に細かい。朝のJR中央線の時間の刻み方を見れば感じ取れる。良い面も多々あるが、赤ちゃんはイレギュラーの塊のように、(むしろイレギュラーがレギュラー。笑)私は日々思う。育児中の人は、そのイレギュラーと滲む生活の中で、今の社会はどのくらいの柔軟性があるのだろうか。以前に比べたら、社会の時間の柔軟性は出てきてはいるだろうが、まだまだ出退勤のタイミング、イレギュラーの早退、安心して働ける、もしくは働かない選択肢ができる、などを考えると、現実は厳しいと言わざるを得ないと思われる。

赤ちゃんの時間と社会の時間が、折り合える。

それは、一体どんな時間が流れ、
どんな働き方があり、
(ここでの働くとは、お金を生まない形も含めたい)
どんな育児ができるのだろうか。

その上で、
どんな選択肢がうまれ、
その時、
何を選ぶのだろうか。

女性の社会進出、
生きづらさ、
ワンオペと言われる育児の在り方、

引き続き、

赤ちゃんと社会、
そして私が今までと、今と経験して考えていることを発信していきたい。

#創作大賞2023

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