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記事が暫く書けなかった理由に対する考察-1

はじめに

2023年初頭に暫く記事を書こうとしても何も思いつかない時期を経験した。
リハビリを兼ねて実験的な記事を書く内に理由の考察がまとまったので、今回はそれを記事にすることにした。
長くなる予定なので回を分割して紹介することにする。
こんなマイナー記事に辿り着く人は皆無だろうけど、同じ悩みを抱えている人の助けになることを願っている。

noteのオススメ記事の傾向がポジティブに寄り過ぎていた。

人によってあなたにオススメの記事は異なるだろうが、紹介されている記事はポジティブなものが多いのではないだろうか。
例えば以下の様なもの

  • こうしたらレビューが増えますよ!

  • 明日も頑張ろう!

  • 幸せな気持ちをお裾分けします!

  • 成功したいならこうすべきですよ!

幾つかオススメに挙がった記事を読むと、どれもこれも似たり寄ったりな結論だった。
これが一般受けする記事するなのだろうが読んでいて全く楽しくなかった。
みんな推敲されて綺麗な文章なんだけど、僕にはハンコを押した文章に見えた。
プロフィール欄に辿り着いてから『 あ、これさっきと違う人の記事だったのね。』と思うほど。

オススメに紹介されたいならアナタの記事もこう書かないとダメですよ、と暗に圧力を掛けているように感じられた。
内心そんな事に納得していないのにポジティブな記事を書こうとするとどうなるか?
無理矢理ポジティブな結論に持っていこうとするのでストーリーが組み立てられず、記事が書けなくなったのだ。

それに気付いてから僕は負の感情も大切にし、表現する事を躊躇わないようにした。
以降は僕の中の文章を書く血流を妨げていた血栓の一部が取り除かれた様に文章が閃くようになってきたのだ。

文体を変える

当初僕が書いていた記事の文体はですます調だった。
ですます調は丁寧な文章に見えるのだけど、自分の湧き上がる感情をヘラで押し潰すように起伏を平らにしてしまうのだ。
これも僕は段々と納得がいかなくなった。
より自分の気持ちを表現できる文体を目指して、ですます調を止めた。
そして、直接的な表現を用いて感情の起伏を見える化した。
そのお陰でこれ迄ロウカット/ハイカットされていた感情が蓋をされなくなり、僕の文章は他の誰でもない自分だけの作品になり始めたと納得できるようになった。

ハンコ文章の様に見せた記事にスキがつかないと何故なのか納得がいかないだろう。
だって模範解答を真似ているのに結果が伴わないから。
そんな文章に稀にスキがついても大して嬉しくなかったのは、ある意味当然の帰結だろう。

逆に自分の書きたいように書いた作品は自身を満足させることが出来たので充足感が有るし、スキされたらとても嬉しい。
そのスキの数はハンコ記事よりも少ないだろう。
でもハンコ記事では得られない喜びがある。

さて、長くなったので次回に続きを書くことにする。

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