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不登校日記⑥11か月ぶりのランドセル

小1の5月からが不登校だった次女が、4月から2年生になった。そして5日前、約11か月ぶりにランドセルを背負って登校した。

正直なところ、こんな日がこんな形でやって来るとは想像もしていなかった。思わず熱いものがこみ上げてくる(そもそも、娘が小学1年生の5月という早すぎる時期から、完全不登校になるなんてことも想像だにしていなかったのだが……)。

この1年は長かったようであっという間だった。母子ともに、疲弊することもあった。1年間を振り返って、娘は変わったのか変わらなかったのか、家族は変わったのか変わっていないのか、振り返ってみようと思う。

「きっかけ」は突然やってくる

小1の5月から完全不登校になった娘が、翌年の4月にランドセルを背負って登校する意志を見せている―――我が家にとっては一大事件。涙をこらえてすでに出社していた夫にLINEしたほどだ。

なにが娘の心を動かしたのだろう?

考えてみても、正直なところよくわからない。ただ、本当にちょっとしたきっかけの積み重ねで、重かった足が少しだけ上がるようになり、暗かった風景に少しだけ光が差すことがあるのかもしれない、とは思う。

第1のきっかけ:アサガオの水やり

学校に行けなくなって、先の見えない未来に打ちひしがれていた昨年の5月中旬。1年生の生活科の授業の一環として、アサガオの種を蒔いたことを担任の先生から聞いた。草花が好きな娘に「アサガオの種を植えに学校に行ってみない?」と声をかけてみると、案外あっさり「行く」と言ったのだった。

娘は種を蒔いたあとも、自分のアサガオの成長が気になったらしく、放課後ではあるが、水やりなどのお世話ができるようになった。でもまだ校内には入れなかった。

第2のきっかけ:夏休みの宿題を提出する

第2のきっかけは夏休み明け。
クラスメイトのみんなと同じ夏休みの課題を娘はこなした。これは先生に見てもらわなければもったいないと思った私は、「放課後でもいいから、宿題を出して先生に見てもらおう」と言ってみた。その時もあっさり、「わかった」とうなずいたのだった。

娘は自由課題で「万華鏡」を作り、それをとても気に入っていた。気に入っているもの(自信の持てるもの)なら先生に見せてもいいという気持ちになったのかもしれない。

第3のきっかけ:別室(学習室)への見学

私の住んでいる川崎市には、教室に入れない児童が過ごせる別室(学習室)という居場所がある。その存在を知ってから、私は、一度見学に行きたいと思っていた。

まずは私だけで見学しようと思っていた。見学当日は、夫が在宅勤務をしながら、娘と留守番する段取りにしていたのだが、いざ私が家を出ようとすると、娘は「やっぱり私も行く!」と言い出したのだった。

「学習室(別室登校)」に興味を持ったのか、家に置いていかれるのがいやだったのか(夫はいたが)……。確実に後者だろうとは思う。でも、図らずして娘を家から連れ出すことに成功し、その日をきっかけにぽつぽつと別室登校ができるようになったのだった。

自分に自信を持てない理由はなに?

さまざまな場所で不登校の相談をすると、必ずと言っていいほど「自己肯定感を上げてあげてください」とか「得意なことを伸ばして、褒めてあげてください」などと言われる。

娘の得意なことはよく知っている。鉄棒やけん玉。身軽な体でクルクルっと何度も空中逆上がりをしたり、カツカツカツと何十回も「モシカメ」(けん玉の技)を繰り返す様子を見ていると、心から「はぁ、たいしたもんだねぇ」という言葉が出てくる。

また、文字が丁寧に書けることも褒めポイントだと思っている。こだわりが強いため書くのに時間がかかり、書いても気に入らないとすぐに消してしまうが、納得いくまで書き直すので、トメ・ハネ・角度などに気を配ったしっかりした文字が書けている。

得意なことをしているときの我が子は生き生きしているし、本当に楽しそうである。「普通」の小学生の子どもたちと、何ら変わらない。

娘のような自閉症の子は褒められるのが苦手という記述を見かけたことがある。実は夫も、褒められるのが苦手だとよく言っていた。「褒められると、もう次は失敗できないと追い込まれ、逆にプレッシャーを感じる」からだという。また私は、どんなふうに褒められても、今ひとつ自分に自信が持てないという性質がある。

私も夫も、このようにある種の「めんどくさい」性格を持ちながらも、社会生活をそれなりにこなしてここまで来た。

では私たちと娘の違いは何なのか。娘の頭の中をのぞけたら、どんなにラクか。何度そう思ったことだろう。

そうして1年たった今、感じることは、

「娘は実際、何が嫌で、何が怖くて、何に困っているのか。やっぱりよくわからない」

ということ。投げやりに聞こえてしまうだろうか。

でも、本当なのだ。
前述したように、いくつかの「きっかけ」で娘は学校に足が向くようになってきた。5日前からは、ちゃんとランドセルを背負って登校している。友だちと楽し気に会話したりゲームをしたりすることもある。家族以外には高くて分厚い壁を作って、誰ともコミュニケーションをとろうとしなかった11か月前から比べたら、本当に変わったなと思う。

「何がよかったんだろう?」と振り返ってみても、はっきりとした答えにはたどり着けていない。

ただ。娘の考えていることや気持ちは完全には理解できなくても、一緒に伴走すればいいのだという覚悟だけはできた。

私は知恵を絞りながら、娘が食いつきそうな「きっかけ」というエサを垂らしてみる。そして娘がそのエサをつかむかどうか、辛抱強く待つ。手を伸ばしてそのエサをつかんでくれるかどうかは、娘次第だから。

子どもの力を信じること
いつか子育ての大先輩がかけてくれた言葉が心に沁みる。

* * * * * *

ここまで書いてきて補足したいのは、周りの方のサポートに本当に支えられたということ。家族をはじめ、友人、学校の先生、卒園した保育園の先生方、療育センターの先生、心理士さん。たくさんの方に話を聞いてもらって、アドバイスをいただき、私と娘のやり方を認めてくださったのが大きかった。

まだまだ、この先の小学校生活は長いけれど、ひとまず1年間の締めくくりとして。

(おしまい)



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