愛するということ

愛すること、愛という言葉はやっぱり特別なような気がして。今の私にとっては特別な言葉。

私は、愛することは、信じることだと思う。
信じて待つとか、信じて受け入れるとか、話を聞くとか。
日常の小さな行いの後ろに、常に相手を信じているから、という思いがあること。
それが、「人を愛すること」なのではないかと思う。

人間は誰しも、無条件の愛を求めているのではないかと。いわゆる「母の愛」のような。
そんな、生きていることに与えられる愛を求めて生きている。
その愛にいちばん近いのが、信頼だと私は思う。
それがあっても、何かが変わるわけではないとは思う。そんな心持ちくらいで、日常の物質的な世界は変わらない。でも、少しくらいは生きやすくなるように思えるから。

そんなことを思うようになったのも、詩や歌がきっかけだった。それこそ、中原中也だったり、尾崎の歌とか。あとは「ライ麦畑」。このあたりは、触れていなかったら違った人間だったろうなと思う作品。
これらも機会を見つけて深掘りしていきたいところではある。

思いやりとか、共感とか、優しさとか。
そういう「良い言葉」が、子ども時代からずっと嫌いだった。
優しさは、たとえそれが家族のような近い存在の与えてくれるものだとしても、私には重すぎるのだと思う。それに、自分はそんな温かい感情は持っていないと思うから。
未だに良い言葉は嫌いだし、私にそんな気持ちは持てそうにないけれど。
でも、詩や物語りに触れて、「優しさ」や「愛すること」について、自分なりの解釈はできるようになったから。
自分の思う愛を持って生きてゆけたら、と思う。

…と言いながらも、その愛を求めているのはきっと私自身なのだろうとも思う。
愛することができてこそ、人から愛されることも叶うと、そう思いながらも、自分ひとりでいることの悲しさや寂しさはどうしようもない。

自分探しは続く、ということでしょう。

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