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会話が噛み合わない原因について。

私は話が噛み合わないと感じる時が多くある。
友人、家族に関わらずである。
たいていの場合、その原因は「事実と問題意識」にあると思う。
つまり、その会話がただの事実確認か、問題と捉えて解決を望む故の相談かの違いである。

私の場合は「それが事実だ」と言うだけであって、それを問題と捉えていないことが多い。解決するべきとか、解決したいとかいう考えはない。
聞き手曰く、
「話題にするのだから問題と思っているのだろう、改善を求めているのだろう」
と思うのだそうだ。

私は何か悩みがある時は
「相談したい」、「アドバイスをくれ」
などと言うつもりでいるが、
そう言わずとも一般には
「考えている、すなわち悩んでいる。故に答えを見つけたいのだ」
と考えるのだろうか。

私は小さい頃から他人と会話の仕方や考え方が違うと感じることが多かった。
その疑問の答えが、事実確認か相談か、という認識の違いなのではないかと思う。

私は、事実と感情はできる限り分けて考えるべきだと思っているし、その上で事実と感情のどちらを優先させるかはその人次第だと思っている。
…先日試した性格診断でINTP-Aと出たのだが、こういう思考パターンはこのタイプ特有のものなのかもしれない…

子どもの頃に、祖母に
「クラスメイトが私にこんなことを言った。きっと私は彼らから好かれていないのだろうと思う」
というようなことを話した。
すると祖母は
「あなたを嫌う人間なんて気にしなくていいのよ」
と言った。
別に私は気にしていないのに。
彼らが私にそんな言葉を掛けたという事実を語っただけ。その事実から彼らから好かれていないという結論を出した。
それだけのことなのに。なぜ私を気遣うようなことを言うのだろう。
事実は口にしてはならないのだろうか。
そう疑問に思ってきた。

私は自分を、他人がどう思おうと気にならないタイプだと思っている。
気にならないというよりは、気にしても仕方ないと思っている。どれだけ努力しても好かれないことはあるし、認められないこともある。そんなことのほうが多い。
強がりでもなんでもなく、私はそう考えている。

結局、人間と会話することの難しさ、なのかもしれない。
私自身は報告でも十分話題となるし、そこから会話になると思うが、他人はそうでもないのだろう。

私が話を始めると、「だからなんだ?」とよく言われる。何が言いたいのか分からないと言うのだ。
だから私は一人で話し出す。話し出して、オチまで言って、自分でツッコミまで入れる。そんなことはしょっちゅうである。
一人で話しながら答えが見つかることもよくある。他人を前にしながら、相手と会話をせずに、壁打ち状態になる。その状態だと自分の考える速さで言葉にできて、一人で答えを導き出せることがあるのだ。
発話すること、他人を相手に会話の形をとること。それで思考を散らせないようにしているのだと思う。noteを始めて気がついたが、考えているだけ、文字を打っているだけだと、思考の先が動いてしまい、同じことについて考え続けることができないのだ。
現にもう書き始めとは違うことを考えだしている。

また改めて書くことにして、今回はこれで終わる。
会話も、人に伝えることも、難しくて仕方がない。

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