見出し画像

妻のこと

タイトル画像は昔茨城県の海浜公園にネモフィラの丘を見に行った時の写真です。

この写真好きなんですよね。天真爛漫な感じで。

ということで今回は私の妻について語っていきたいと思います。


私の妻はベトナム人です。
2017年の夏に技能実習生として日本に来ました。当時22歳だったかな。
当時私は29歳。スーパーマーケットを経営している会社の正社員で、彼女は私と同じ店舗に配属されました。
彼女が配属される1ヶ月ほど前。ベトナム人の若い女性が配属という事で、周囲の人達は期待半分、不安半分という感じだったと記憶しています。

出会ってすぐの恋でした
彼女が初出勤をした一週間後には連絡先を交換し、一か月後には食事に行き、さらに翌月には交際が始まりました。
ちなみにスーパーマーケットの中の仕事というのは、主に生鮮(野菜・水産・精肉・惣菜)とそれ以外(日配・食品・酒など)とレジの3つの部門に分けられます。

私は水産部で。彼女は惣菜部に配属されていました。
当時交際に関しては周囲には公にはしていなかったのですが、やはり人の口に戸は立てられないもので、交際開始から半年後に本社人事部に呼び出された私は部長から随分と注意を受けました。脅迫と侮辱交じりに。

これが引き金にもなり私はこの会社から離れる事を決意し、両親の居る実家に帰ることにしました。
その後3年間交際を重ね、技能実習期間の終了した彼女と結婚をいたしました。

この頃は結構大変で、彼女のビザの変更やら何やらで私は再び退職した会社に赴いたり(この時に先述の部長から謝罪されました)、在日ベトナム大使館に行って婚姻の為に必要な書類を提出したり、出入国管理局にも行ったり、新生活の中でやらなければならないことがとにかく多くて精神的にも体力的にもかなり削られていました。

もしこれを読まれる方で国際結婚をしようという方が居たら、高い金額を払ってでも行政書士のサポートを受けられることを強く勧めます。
特にパートナーとなる方の日本語が十分でない時は、かなり大変になってしまいます。

なんて、行政書士法人のステマでは無くて、私の妻のことですね。


私の実家での新婚生活が始まり、当初、妻と両親の関係の構築は案外すんなりいきました。
元々東南アジア方面への赴任経験のあった父はベトナム人の妻というものにかなり理解があり、母はと言えば認知症の傾向はあったものの性格的に穏やかな人だったので妻との目に見える確執はありませんでした。


ということで目下の私達夫婦の課題は、子作りでした。







結論から申し上げますと、2022年4月、元気な男の子を出産しました。

2020年の婚姻から早速と取り組んでいたのですが、およそ1年間は出来なかったんですね。
今にして思えば1年くらい普通じゃん。と思いますが、当時は2人揃って悩んでいました。不妊治療目的で産婦人科にも何度か通いました。
その時はタイミング療法を促され、4~5か月くらいは取り組んでいたと記憶しています。

今回こそは大丈夫かな。なんてやりとりをする度、願いが叶わなかった時の妻の顔は暗くなっていきました。
そんな顔をいよいよ見るのも辛くなり、まだ焦らなくても良いじゃない。今は子供の居ない生活を楽しもう。旅行でも行こうか?
なんて話をした途端。妻の妊娠が発覚しました。


この上ない幸せでした。
定期的に通う産婦人科も、今までとは全く違う見方で通うようになりました。
毎回のエコー写真。安定期に入り性別が分かった時の感動。妊娠後期のドキドキワクワク。破水が起きて深夜に病院に駆け込んだこと。
全てが鮮明に思い起こせます。

そして産まれた私達夫婦の愛の結晶はすくすくと成長し毎日元気に走り回っています。

またも話が逸れましたが、妻のことですね。

妻はベトナム人ですので両親はベトナムに住んでおり、私は妻と結婚するまで妻の両親には会えていませんでした。妻の両親とはテレビ電話のみで挨拶をしていました。
これも今思えば、もっと早く会いに行っていればと少し後悔しているのですが、2023年5月、無事に会いに行くことが出来ました。


何というか、私にとってベトナム人というのは、本当にエネルギーに満ち溢れている存在です。
妻然り、妻の家族然り、妻の実家の近隣住民然り、移動途中に見かけた人々然り。
ぶっちゃけて言えば住宅はボロいし街中は汚いし高温多湿はしんどいし交通状況はとんでもない(ルール無視)し。でも、それら全てを受け入れて、人々は日々を生きている。
深夜までカラオケで煩くて、翌朝5時から広域放送で「朝です!皆さん働きましょう!」と呼び掛けられる。

どないやねんて感じですよね。でも、それが彼らにとっての当たり前なんです。
日本に居て、日本人とだけ関わる生活をしていたら絶対に見えない世界がそこにはありました。
長々と語りましたが結局何が言いたかったのかと言うと、

妻は、私の世界をいつでも変えてしまう存在だということです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?