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232. やっぱり、いっときの恥を捨てて、いまを生きたい。図解してみたからこその気づき。

毎日noteで出会った「図解する楽しさ」


毎日noteを1年近く続けてきて得た一番の財産は
発信者として活動し続けたからこそ得られた出会いです。

その出会いの一つが、図解する楽しさです。

図解noterの山田太郎さんに出会って、
こんなことも図解にできるんだ!
図解するってこんなに楽しいんだ!

という衝撃を受けました。

新しい企画【#みんなでことわざ図解】に参加してみた

そんな山田太郎さんが
新しい企画を提案してくださっていました。

ワクワクしたので、早速取り組んでみました。

ことわざを図解してみた。出典:故事・ことわざ・慣用句辞典オンライン「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とは」(https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/304.php)

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。

参考:故事・ことわざ・慣用句辞典オンライン「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とは」

図解にしてみるからこそ、気付けることがある

「図解するのって、そんなに楽しいの?」
そう思われた方もいると思います。

でも、一度、ぜひやってみてください。
とっても面白いんです。

それはなぜか。

言葉で説明できることでも、
わかったと思っていることでも、
図解にしてみるからこそ、改めて気付けることがあるからです。

もやもやとした気持ちが「言語化」できると、スッキリして、気づきがあります。そして、「言語化」できたものを「図解」にできると、さらにスッキリして、気づきが増えます。


もやもやした気持ちは言語化すると、気づきがあり、スッキリしてくる。言語化した気持ちを図解で表すと、気づきが増え、さらにスッキリする。

やっぱり、恥を捨てて、「いま」を生きていきたい。

【聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥】を図解してみて、
そう強く思っている自分に改めて気づきました。

毎日、わからないことに出会います。
歳は重ねておりますが、まだまだ、わからないことだらけです。
おそらく、死ぬまでそうだと思います。

自分で調べることも大切です。
自分で調べることも好きです。

でも、その場でしか聞けないことってありますよね。
そのチャンスを逃したくないと思います。

特に、「しりたい」「わかりたい」と思うことについては、

いっときの恥を捨てて
「わからないんです」「知らないんです」
「教えてもらえませんか」
と素直にいえる自分でいたいと思いました。

さきほどの図で、恥ずかしいと思った時を赤色で示しました。

赤色の濃さに差をつけたのは、
分からないことを「聞けた」時と「聞けなかった」時では
「一時」と「一生」という恥ずかしさを感じる長さの違いだけでなく
恥ずかしさの強さの違いを表現したかったからです。


恥ずかしいと思う時を赤い色で表した。聞くときの恥ずかしさは「強い」が一時。聞けないときの恥ずかしさは「弱い」が、もやもやと続いていく。

なぜ、聞けないときがあるのか

「分かりたい」「知りたい」という気持ちがある時でも
分からないことを聞けないことがあるのはどうしてか。

私の場合、
聞く瞬間、その「いっとき」の強い恥ずかしさを
乗り越えられない
からかな、と思います。



ものわかりの悪い自分は、
学生のときから、よく感じていました。
大人になっても感じるときがあります。

どうしてみんな質問しないんだろう。
理解できていないのは、自分だけなんだろうか。
みんなは理解できているんだろうかって。

そう考えると、聞くのが恥ずかしくなって、
質問することの恥ずかしさが乗り越えられなくて、
聞けないことがありました。

その時の私は、確かに「強い」恥ずかしさは味わずにすみました。

でも、分からないことがそのままなので、
「もやもや」がずっと心のなかに残っていて、
実に気持ち悪かったです。

これが「聞かぬは一生の恥」の「一生」の恥なのか、
「弱い」恥ずかしさが「ずっと」続いていくのか、

これを味わうくらいなら「一時」の恥の方がいい、と思いました。


その苦い経験を何度かしたことで、
分からないこと、特に
自分が知りたい、わかりたいと強く思ったことについては
思いきって自分から質問することができるようになってきました。

うっかり質問し忘れることはあるんですが・・

これからも「いっときの恥」を乗り越え
「いまを生きる」自分でいたいと思います。


関連記事

山田太郎さんの企画に参加させていただいたnoteです。

●みんなでことわざ図解

●図解お茶会


本日は以上です。

素敵な企画を提案してくださった山田太郎さんに、
最後まで読んでくださったあなたに、
「ありがとうございました」を伝えて終わりたいと思います。

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。