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#4 子どもは覚えてなんていない。それでも、私がどうしても母乳で育てたかった理由。

 今、私は2ヶ月の赤ちゃんを完全母乳で育てている。私にとっての三人目の子どもで、初めての男の子。今日は、母乳育児についての気持ちを記事にしてみます。

母乳で育てたかった。ミルクをあげたくなかった。

 一人目も二人目も完全母乳で育てたから、三人目も母乳で育てたかった。時間はかかったとしても、母乳が出る体であることが分かっていたから、母乳で育てたいし、できればミルクなんてあげたくないと思っていた。そして、その旨を産院側にバースプランとして伝えていた。

 しかし、案の定、帝王切開で出産後はなかなか母乳が出てこなかった。早産などの危険を回避するため、出産まで母乳ケア等一切していなかったので、当然といえば当然なのだが、とにかく母乳が出てこなかった。

頻回授乳で体が悲鳴をあげていく

 無事に生まれてきてくれた喜びも束の間、私はすぐに、母乳が出ずに悩むようになる。いや、正確にいえば、悩んでいる暇などなかった。とにかく「吸わせるほど、それが刺激となって、母乳が出るようになる」から、とにかく、泣いたら授乳を繰り返していた。すると、徐々に体が悲鳴をあげていく。

 特に明るいうちはいいのだが、暗くなってくると、「夜間も授乳したい」と思っても、体は正直で「しんどい、眠たい、もう無理」と言いだすのである。

今夜はどうする?ミルク、すこしだけあげていい?

 2日目の夜、私と赤ちゃんのお部屋に来てくれた助産師さんが、「今夜はどうしますか?」と聞いた。私は正直に「少しでも早く母乳がたくさん出るようにしたいから、今夜も授乳したい。でも正直眠たくて痛くてしんどい」と伝えた。

すると、助産師さんが自分の経験談をお話してくれた。そして、「私は赤ちゃんも、お母さんも心配なの」と言われた。

それで気が付いた。

子どもは母乳を飲んでいたことを覚えてなんていない。
母乳にこだわっているのは私だけ。

そして、この子は今、必死に生きている。
だから、私の全然出ないお乳を必死に吸ってくれているんだ。
泣いてばかりいるのは、「足りないよ」「もっとちょうだい」って教えてくれているんだ。

この子がいま求めているのは、お腹いっぱいになること。
この子にとっては母乳でもミルクでもどっちだってかまわない。

助産師さんは私に聞いた。「ミルク、ちょっとだけあげてもいい?」

私は「いいです」と言った。赤ちゃんはナースステーションで預かってもらい、私はゆっくりと休んだ。

目が覚めると、産後3日目の朝になっていた。何度計測しても0gだったけれど、やっと34g授乳することができた。

その後は、夜間1回だけミルクをあげれば大丈夫なくらい母乳がでるようになった。

そして、退院後は1回もミルクをあげなくても満足してくれるようになった。自分でもわかるくらいシャーシャーシャーと母乳が出るようになったからだ。それからは心穏やかに授乳を楽しめるようになった。

母乳を飲んでもらえることがこんなに幸せなんて知らなかった。

3回出産したけれど、3回とも入院中の1週間は、帝王切開の痛みからの回復と、母乳を出すための苦しみでいっぱいだった。
その上、5歳の長女と3歳の次女は、離乳食もろくに食べず母乳が大好きだったこと、それぐらい母乳をたくさん飲んだことを全く覚えていない。

でも、それでも、私は母乳にこだわったことを全く後悔していない。

だって、人生でナンバーワンを競うくらい、幸せな時間をいっぱいもらったから。

自分のおっぱいをごくごくと必死に飲んでくれた時間が、これまでの人生にないくらい、とっても幸せな時間だったから。

それが、私がどうしても母乳で育てたかった一番の理由。

自分の体でどうにかできることはどうにかしたかった


私がどうしても母乳で育てたかった理由はもうひとつある。
自分の体でどうにかできることは、どうにかしたかったからだ。

というのも、私は不妊治療をして3人の子どもを授かり、3人とも帝王切開で出産した。私は今の時代に生まれなければ、子どもを授かることも、子どもを出産し抱くことすらできなかったのだ。自分ではどうにもできなかったから、医療の力を借りた。

でも、一人目の出産をし母乳でなんとか育てた経験から、母乳については自分の体でもどうにかできることを知ったので、今回もどうしても母乳で育てたかったのだ。

最後の赤ちゃんへの、最後の授乳、楽しもう

息子は私の最後の赤ちゃん。
だから、息子へするのが最後の授乳。
存分に楽しみたいと思います。

息子も覚えてはくれないだろう。長女や次女が覚えていないように。

でも、それでもいいのです。
私は決して忘れません。
幸せだった時間を決して決して忘れません。

いっぱい、おっぱいを飲んでくれてありがとう。
幸せな時間をありがとう。私の愛する子どもたち。


読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。