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266. 受け取った言葉が、心にひっかかって離れないときがある

受け取った言葉が、魚の小骨みたいに
ひっかかって離れない時があります。

そういうときは、まず

どうしてそうなのか、自分を見つめて言語化してみる

ようにしています。

その作業は、苦しくもあり、
ちょっと面白くもあります。

なぜなら、その言葉を受け取る前には
気づかなかった気持ちに気づくからです。

私って、これが嫌だったんだなぁとか、
これを大切にしていたんだなぁとか、
そういうことに気づくから。

先日も久しぶりに「主婦」と言われ
「主婦」なんですが、
もやもやが消えなかったので
どうしてそうなのか、考えました。
そうしたら、自分にとって
大切なものが見えてきました。


ただ、自分の気持を見つめて言語化してみても
もやもやするときはあるので・・・

そういうときは、

信頼できる人に話してみる

のが一番かなと思っています。

話してみると、自分の中で考えていただけでは
気づけなかった視点に気づけるからです。

分かってもらえず、余計にもやもやすることもありますが(笑)
話せたというだけで、スッキリします。

ただ、信頼できる人に話す時間をつくることは
簡単ではないです。

だから、そういうときは、とりあえず

それはそれとして、今できることをする

ようにしています。

子どもは、待っていてくれないし、
屈託のない笑顔を見せてくれるし・・・

目の前の「緊急なこと」に対処するのに精一杯で
ひっかかってた言葉のことなんて
考えていられなくなるというのが
本当のところです(笑)


ただ「緊急なこと」が落ち着いたとき
それでも、その言葉が気になってしまうときは

人に話してみたり、本を読んでみたり、
そのひっかりを解くための行動をするようにしています。

どうしても気になることは、そのままにしない。
自分のことも大切にしてあげよう。
できること、ひとつでもしてみようと思います。


以上です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。