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264. 「お母さん」て言われても平気なのに「主婦」と言われるとちょっとイヤなのはなぜだろう

「お仕事は何をされていますか」と聞かれた時、
「現在は育児のため休んでいます」と答えたら
「主婦ですね」と言われ、
職業欄に「主婦」と書かれたことがあります。

その出来事は、私にとって衝撃でした。


「主婦」の定義は、「家事・育児を主にする既婚の女性」。
だから、私は間違いなく「主婦」です。

でも、当時の私は、自分自身のことを
「母親」であり「妻」であることは自覚していましたが、
「主婦」だとは自覚していませんでした。

ですから、はたから見れば休職中の自分は
ただの「主婦」なんだと気づいて、
ちょっと寂しい気持ちになったのを覚えています。



そういえば、

「(◯◯ちゃんの)お母さん」と呼ばれても平気なのに
「主婦」と言われると心がざわざわします。

なぜでしょう。


「育児、家事」だって、立派な仕事だと思っている。
それならば「主婦」という言葉にも抵抗がないはずなのに。

私の中に「主婦」という言葉に対する偏見があるのかもしれません。



この件について考えていて
もうひとつ気がついたのは、

私がなりたかったのは
「主婦」ではなく「お母さん」だった、


「お母さん」になりたくて行動した結果、
「主婦」になっていた、

ということです。



でも、もっと正確に言うと、

「お母さん」になりたい気持ちよりも
我が子に会いたい」気持ちが強かったことを
思い出しました。

子どもを授かるまでが茨の道で
医学の力を借りたため、
どうしてそんなに子どもがほしいのか
何度も自問しました。

そのとき、いつも感じていたのは、
自分の中から湧き上がる
「我が子に会いたい」という気持ちでした。



「我が子に会えた」
その結果「お母さん」になれた。

「お母さん」になった結果、
「主婦」になっていた。



お母さんも主婦も、
役割についている名前にすぎない。

いちばん大切なのは、
「我が子に会えた」ということ。


「我が子」に会えてよかった。
可愛い我が子の「お母さん」になれて、
育児や家事ができている。

それだけで十分幸せじゃないか。


それだけではちょっと寂しいと思う部分、
母でも妻でもない私自身の輝きについては
これからできることを一つずつ
やっていけばいけばいい
んだから。

そう気づきました。




勝手な偏見を含んだ記事をアップしてしまい、すみません。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




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