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苦しかった2023年VSわたし

愚痴!長い!散文!4についても書いてる!


1年前のこの時期、わたしは通信制大学に編入し、新しいバイトを始め、パートナーができ、デイケアに通い始め、(以前から引き続き)家庭が断続的に荒れていた。

とても苦しかった。
特に3月後半から4月後半まで。
週3〜週4で朝5時起きでバイトに行き、長い時は8時間働いた。やることも覚えることも、今思えばかなり多かった。現在のバイトとは比べ物にならない量だったし、自分とあと1人で全体を見て、忙しいなかこなすことの優先順位を見極め、店を回さなければならなかった。クレームの対処や🤮な中年男性客の対応も何度かあった。

バイトから帰ったら勉強。通信制なので孤独だったし、やり方もよく分からず、単位が取れるか不安でいっぱいだった。不安すぎて毎日泣いてた。

パートナーとは遠距離恋愛。こっちは編入してバイト始めて、自傷やめて体調安定させるぞ!って思ってデイケアも通って、環境が変わって苦しいのに、相手は友達と楽しそうに大学生活を満喫してる。もちろんわたしの状況もかなり恵まれてることは分かってるし、相手だって課題や実習が大変なのも分かってたけど、比較してしまった。
デイケアや体調の話をすると、「精神障害の人のことは聞きたくない」と言われた。
まあそういう話しすぎるの良くないのは普通に理解できるけど、相手は大学の友達がどうとかなんとかめっちゃ話してくるのに、こっちの居場所や友達の話は聞いてくれないの?そう思った。
だんだん関係が険悪になり数ヶ月後には別れた。

早朝シフト→デイケア→勉強→したくもないパートナーとの電話(喧嘩する、ますます嫌いになる)。
1日でこんなにこなすことはあまりなかったけど、とにかく環境変化とパートナーのことで悩んで、抑鬱状態だった。
常に胸のあたりが苦しくて。
クエ◯アピンやブ□ンとお酒をODして、1日中布団から動けなかった時もあった。

5月ごろに別れて少し心は軽くなったものの、引き続き(今思えば)私にはハードなバイトと勉強をしなきゃって思って、無理やり体を動かしていた。

6月、7月ごろには出勤のたびにブ□ン錠を10数個飲んで、ふわふわしないとバイトに行けなくなった。
□ラゼパムを1シート飲んで、吐き気するんだけど笑って言いながらレジをし続けた。

8月にはバイトを辞めた。
でも精神科の薬があっていなかったのか、毎日少し動いただけでも酷い目眩と吐き気がして、ずっと横になっている日も多かった。9月終わり頃まで。

少し飛んで11月。冬季うつがやってきた。
希◯念慮の冬だった。1月後半くらいまで。

2月3月は春休みで、天候も良くなり、割とゆっくりできた。就活は大変だけど、頑張るぞ!って前向きな気持ちの時がほとんど。

家庭が荒れてた、については、(数年前から何回も)家族が◯のうとしてたみたいな感じだ。毎回私の情緒はめちゃくちゃだった。怖くて緊張して、母親がヒステリックに泣き喚いてるのを慰めて、ほんとは嫌なこともママのためって我慢して。でも今は落ち着いてるし、私のことを気にかけてくれてるって分かった。それにママのため、って思いすぎて自分のことやきょうだいのことを理解しようとしてなかったことに気づいた。なんて盲目だったんだろう。ママのためって盲信して(させられた要素もあるけど)、他のことを見ていいんだって思えなかった。でも今なら、違っても大丈夫って思える。だいぶ安心して過ごしてる。
家族のことは今でもトリガーが発現すると泣き散らかすこともあるし、めちゃくちゃ罪悪感を感じて苦しくなることもあるし、あんまり深く振り返ると情緒が麻痺してくるのでここらへんで終わる。

とにかく、しんどいことがたくさんだった。
でもなんとかやり抜いてきた。
もちろん楽しいこともあったけど、バイアスがかかってるから今は思い出せないかも笑。

But the battle was lost, cos I’m still here.
I’m so proud of that!

きつい内容なのに、最後まで読んでくれてありがとう。るえな

PS,あなたもすごく頑張って、やり抜いてきたんだよ!!自分では気づかないかもしれないけどね。

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