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人間関係で切ってしまうなら…

暇だと脳が悩みを作りだすって聞いたことがある。
確かにその通りだなと思ったことが何度もある。
私の場合は、バイトや学校などで忙しいときとそうではないときを比べてそう思う。
この記事は暇と悩み、自傷と対人関係についてのものです。
ネガティブな内容を含むので、苦手な方はご注意ください。



以前飲食店でバイトをしていたとき、苦手な女性のパートの方がいた。
別に全然悪い人じゃないし、常識もあるし、しっかりしている。
分からないことを聞いたら教えてくれるし、雑談も普通にした。
でもなぜか、わたしは彼女のことが苦手だと思ってしまった。
彼女が言っていた言葉の裏を考えてしまい、わたしのことを嫌っていて傷つけようとしているのかもしれないと思うと、強く不快な感情が濁流のようにわたしの心を流れた。
そして自分を傷つけた。そうすると濁流は清流に変わるからだ。
その方法でしか清流にすることが出来なかった。

濁流の原因になってきた人物は、彼女だけではない。
特になぜか大学生になってからそういう人物だと捉える相手が増えた。
つまり、高校生までは誰かの言葉の裏を考えて、相手が私を傷つけたり、不快に思ったりしているなんてほとんど考えなかった。
あるにはあったが、自傷を覚えていなかったので、ほかの方法でどうにかしていたのだろう。(一部は不登校という形になったと思われる)
そして彼らはみな消して悪い人ではない(と信じたい)。
ただ性格が少し合わないのと、わたしが激しい思い込み・壮大な勘違いをしているからってだけなのだ。

そして最近は、ほぼすべての人が対象人物予備軍になった、というか、もはや対象人物や性格の不一致の条件など関係ないくらい、自分と接する人間であるという点だけで簡単に、濁流が流れるようになった。そしてその中の何人かとは距離が出来て気まずい状態にある。
どうすればいいのだろうか。このまま社会人になったら、自傷をやめられないではないか。やめたいのに。

暇と悩みの関係の話に戻ろう。
前述のように、わたしは人と接すると、相手が全然悪くな(いかもしれな)くても言葉や行動や態度によって、自分が嫌われてるとか、失礼な人、不快な人だと思われているのではないかという感情に支配され自傷するということが頻繁に起こる。
ということは、人と接さない、つまり家にこもって学校もバイトもいかない日が多くなると、自傷の頻度は減るのだ。明らかに減る。その代わりなのか、将来のことや家族のことや見た目のことや過去のことを考えてしまい気分が落ち込む。そしてこの状態は、暇ということだ。
暇が悩みを作り出すとはこういうことなのではないかと思う。
自傷や対人関係も悩みといえばそうだが、悩みよりは衝動という言葉のほうが合うので、悩んでいるとは感じない。ただの言葉の捉え方の問題かもしれないが。自傷は薄く小さい跡だし、以前の傷はほとんど消えているので、またすぐ消えるだろうと思えばそこまでためらわずにできてしまう。(自分に対して)切れば解放されるのだから、なぜやらない?と思う。

でも人生がずっと忙しくて、文字通り死ぬまで予定パンパンで、考え事をする時間がない、とかは極端すぎて起こりえないと思うので、きっとどこかのタイミングで暇を持て余す時期が訪れて悩んでいるってだけなんじゃないかとも思う。

読んでくれてありがとう。 るえな



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