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言葉が一人歩きするとき。〜柔道からの連想

まもなくパリオリンピックである。
先日、テレビで柔道の父と呼ばれる嘉納治五郎の特集を見た。
柔道は明治期にこの方によって創設されたものだったのか。
意外と新しいことに驚く。もちろんそれまでに柔術というものがあったらしいが、私たちが日本の伝統と思っているものは意外と明治期に生み出されたものが多い。

柔道には思い出がある。
教師になって最初の赴任校には柔道大会というものがあった。
季節は冬、1・2年生の男子生徒がクラス代表として団体戦を行う。女子生徒は応援だった。現代の視点から見れば、ジェンダー的にどうよと言わざる得ないが、平成の初期、さほど大きな疑問も持たれずに行われていたように思う。

この柔道大会、面白いほど技がかかる。背負い投げに大外刈り、巴投げまで、大技のオンパレード。学校の体育で柔道を習っただけの初心者だから防御が甘い。いわばスキだらけの状態である。スキだらけの者同士、クラスの女子たちの歓声を背に受け、アドレナリンを大放出しながらかっこよく勝とうとする。というわけで、びっくりするくらい大技が決まるのである。もちろんケガもする。

確か教員2年目の頃だったと思う。各学年優勝クラス同士のエキスビションマッチで、私が副担任をしていたクラスの男子が思いっきり投げられた。受け身がうまく取れなかった彼は頭から落ちてしばらく動けなくなり、保健室に運ばれた。

意識もあって喋れるのだが、少し気持ちが悪いという。念のため近くの市立病院に連れて行くことにした。有名な脳神経外科の先生もいて、すぐ見てくれるよう養護教諭が手配してくれた。病院には私が付き添った。

すぐにお母様が駆けつけてくれた。本人が検査を受けている間、事情を直接説明したのだったか。記憶にあるのは猛烈にお母様に怒られたこと。なぜ柔道大会をする必要があるのか、学校はこのことをどう考えているのか、どう責任を取るつもりなのか。お母様の怒りは増幅し、激しさを増し、ともかく頭を下げて謝るしかできなかった。
ただただ叱られ続ける理不尽さに、私はしだいにやさぐれた気持ちになっていった。私が投げ飛ばしたわけでもないし、新採2年目の私に学校行事を中止する権限があるわけもないし。

見かねた看護師さんが、間に入ってくれた。お母さん、大丈夫だから、たいしたことなかったから、と宥める。そのうち、頭を打った本人も検査を終えて合流し、母さん、もうやめろよ、と少し声を荒げて言ったような気がする。

何はともあれ、その生徒に怪我はなかった。
そして、診察を終えた医師から説明があった。

幸い何事もなかったけれど、頭を打つというのは非常に大きな危険を伴うことであり、学校でも十分に考えてほしい。そしてこれは自転車事故でも言えることで、できれば通学時にはヘルメットの着用をしてほしいと僕は常々考えている。学校に戻ったら、しっかり伝えてほしい。

後日知ったことだが、その医師は、自転車乗車時のヘルメット着用の重要性について、常日頃から訴えていたらしい。ただ当時は自転車にヘルメットなんてという風潮が強く、変わり者の医師だと受け止められていたようだった。

道路交通法が一部改正されて、令和5年の4月から自転車乗車時のヘルメット着用が努力義務となった。私は真っ先に、あの医師のことが頭に浮かんだ。あれから30年、ようやくあの医師の願いが実現しつつあるのだと。

柔道の事故もまた、2012年以降大きく減った。柔道事故が社会問題化し、全柔連が安全対策の取り組みに力を入れたからである。

さて、柔道大会の数日後、授業を終えた私を件くだんの生徒が追いかけてきた。少し照れくさそうに小さな包みを差し出した。

これ、母からです。先日はすみませんでした。

そんな会話をしたような気がする。
中には可愛らしいハンカチと謝罪のお手紙が入っていた。私は素直に嬉しかった。

クレーマーとかモンスターペアレンツという言葉がなかった時代だからこそ素直に喜べたのかもしれない。もしこれが現代だったら、彼のお母様のことを私はモンペという言葉で括って学校に戻って散々愚痴っていたのではないか。その謝罪の手紙だって、言葉どおりに素直に受け取ることはできなかったに違いない。

言葉によって問題が顕在化する。それまで声を上げられなかった問題に社会が目を向けるようになる。DVとかセクシャルハラスメントとか、そういう言葉がなかった時代は被害に遭っていた人たちはきっとただ堪えるしかなかったはずだ。
でも、言葉が一人歩きして、本質よりも表層しか見えなくなったこともあるのではないか。柔道からの連想で、そんなことを考えている。






#創作大賞2024 #エッセイ部門


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