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シジュウカラに誘われて

3月末に無事退職してはや3ヶ月。55歳の早期退職である。公立高校の教員を33年勤めていた。33年も働いたのか。「お疲れさん」と自分に声がけして、4月からは教育系出版社の外部委託の仕事を始めた。憧れのフリーランス。在宅勤務。実働5時間くらい。華麗なる転職である。まあ現実はそう甘いものではなく、仕事が遅いから世にいう最低賃金スレスレ、いやそれを下回ることもしばしば。それでも前職の経験を活かせる貴重な仕事だし、何よりやっていて楽しい。いわゆるコスパなどというものは度外視して時間をかけて調べたり悩んだりした。本社とメールでやりとりしつつ意見を交わすというのも初めての経験だった。国語の問題の解答や解説のチェックの仕事なのだが、長年教員をしていたにも関わらず、こんなにも国語だけに取り組めることはほとんどなかった。えっ、では何をしていたんだっけ。


まず思い浮かんだのは、会議資料作り。なかなか世には知られていないかも知れないが、学校には会社のように課がある。教員層のボリュームゾーンである50代の仕事として、課長という仕事を任せられることが多いのだ。私も御多分に洩れず、この課長という役割についていた。管理職手当が支給される課もあるが、私は支給されない側。保健課長という役職だった。同じく支給されない側の図書課長と、「私たち環境系だから」などと言い合っていた。もっともこの環境系、小中規模校ではとっくに他の課に吸収・合併されてなくなっている。学校の主流は、進路課、教務課、生徒課。最近では企画課なんてのもある。こういうところの課長はバリバリ働いて管理職になっていく人も多い。環境系はかつて窓際の特等席と言われていた。誰もが羨む窓際の特等席。そんな閑職と思われている保健課長でも、仕事はいろいろある。不登校生徒の対応、最近激増している特別支援の対応。スクールカウンセラーの相談事業。新型コロナウィルス感染症の対応。学校の清掃指導。保健委員会の指導。身体計測に始まる各種検診。おまけに最近はLGBTQ理解やがん教育など様々な啓蒙活動まで、あげたらきりがない。これらに対応すべく月に1回の課の会議資料、職員全員に関わるものなら職員会議用の資料、そのほか不登校や特別支援の生徒を支援するための定例会議の資料作成などを授業の合間にやっていた。いやもしかしたら会議資料作りの合間に授業をしていたのだったか。退職した今となってはもうどうだったのか定かではない。


というわけで変な話だが、退職した後になって国語に集中して取り組むことができた。そして当たり前のことだが、請け負っている仕事には終わりがある。なんたってフリーランスなのだから。とりあえず4月からの仕事は7月に入って終わった。次の依頼まで暇である。あれっ。やることがない?

どうする?

収入はなくても大丈夫なのか?

どうも働かざる者食うべからずの精神が身に染み付いているらしい。

待て待て。

そもそもなぜ残り10年もあるというのに退職したのか考えてみよ、と自分に言い聞かせる。自分が好きなこと、やりたいこと、やらねばならないことにもっと向き合って生活していく。そのための決断なのだ。


庭から鳥の声が聞こえる。梅雨の晴れ間、朝からけたたましく鳴くその鳥の名を私は知らない。きっと去年も一昨年もそこで鳴いていたはずだ。まずはこの鳥の名前を調べてみようか。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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