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笑うセールスマンについて

喪黒福造をご存知だろうか?
笑うセールスマンの主人公である。
大分昔のアニメだったようだが、見返してみると、この作品は恐ろしく現代人の心理を捉え、色々な問題を提示していることが伺える。

笑うセールスマンは、藤子不二雄Aの作品で、謎のセールスマン喪黒福造が、悩める現代人のちょっとした願望をかなえてやるが、約束や忠告を守らなかった場合に、その代償を払わされるという内容である。

論より証拠で、是非作品を鑑賞して頂きたいが、私の感想としては喪黒福造は存在しない、自分のもう一人の人格ではないか?と過程して見ていた。

アニメの中で毎回、全ての登場人物が現状に満足していない人物である。
一見単調で満足していない日常。そのようなありふれた日常風景に突然喪黒福造は現れる。
毎回、登場人物のことを隅から隅まで理解して、無料で力になってくれる。
まるでドラえもんのような、救世主に思えるが、そこにはオチがつく。
喪黒福造の存在はあくまでも「声」にある。つまり助言と提案と、本人の選択である。ここに全ては自己責任、因果応報の心理が起因にあるのではないか?
まるでこれは映画のファイトクラブと類似した点も多い。(ファイトクラブもオススメ)

私はこの作品を通じて一つの結論を考えていた。
つまり現代社会の闇についてである。これは闇金融ウシジマくんやカイジにも統一した、カオス理論であり、資本主義社会と人類の認知機能が不協和音をもたらす悲劇に他ならない。

これは三島由紀夫や、小津安次郎の作品にも見いだせる、グローバリゼーションとニヒニズムによる、魂の崩壊を現す。のではないか。

本来の幸福について考えるとき、人類は基軸を持たない。
アニミズムや自然主義で世界を捉えれば、世界は調和こそ幸福なのである。
つまり持ちつ持たれつの精神で、あるがまま生きて死ぬことに没頭することが動物主義である。
一方人間は、その弱肉強食の原理から、超越主義に陥りがちだ。
宗教も、学問も、芸術も人類の財産である。
資本主義や貨幣経済も動物主義からすれば、宗教などと何らか変わりないだろう。
そういう点からすれば、喪黒福造は現代社会の神になるのかもしれない。

人情なき世界で我々はどう生きるべきか、環境問題(温暖化、地震、水害、異常気象、コロナ)や経済破綻などで問われる時代だ。
その中で欲望は限りなく、増強し、貧富の差をうむ。
本当にしなければならないことは、いつもある風景が様変わりしていくことに気づくことである。
脳内にある理想とは、ある意味では認識症の患者と然程変わらず、それは代償の大きい痛みと負債をうむ。
喪黒福造の声を借りるなら、「高いビルがどんどん建つのに比例して、孤独な人間がどんどん増えております。孤独な老人、孤独な女性、孤独な青年、孤独な子供、孤独な犬、猫、杓子‥」。
是非笑うセールスマンご覧あれ!

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