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成長意欲と、日記。

高校生の時から、毎日書くわけでもないけど、
自分の感情や考えをノートに書き記す癖があった。
 
きっかけは、部活の練習ノート。
毎日、練習の振り返りをして分析し、プレーを改善しようとしていた。
 
1人の人間としても、自分を振り返ることで、より良くなれるのでは?と思い、自分が思ったことや感情をノートに書くようになった。

最近、今迄の日記を読み返した。
強すぎる「成長意欲」は、日記の用法用量を狂わせると思った。

まず僕の日記は、自身の「成長」が目的になってしまい、自分を発奮させるような言葉や自分の行動を反省するような内容で満ち溢れていた。
 
バックパック1つで海外旅行行った時なんかは、街の印象も書いているが、
出会った人から学んだことをツラツラと書き記していた。

社会人なってからの日記なんて、自分の行動分析書でしかない。
けど、僕にとっては普通なので続けていた。

常に自分に足りていないところを探し、言葉で穴埋めをしている感覚。
用法が違う気がした。
 
日記って、嬉しかった事や悲しかった事でも、そのまま残していくことに意味があると思う。

自分で作るエンタメ。
人生に役立てようなんて、高尚な考え方は必要なかった。
 
また言霊って概念があるように、人間は使う言葉だったり、
目にする言葉によって、より言葉通りの人間になっていくと思う。
 
僕は、よく悩んだりしたときに、自分の日記を見返す。
以前、考えたことがあったか?など確認するような癖があった。
自分の変わらない価値観を重ね塗りしているみたいだ。用量が多い。
 
価値観に一貫性があることは、別に悪いことだけではないと思う。

ただ、人の価値観や考え方って変わってもいいと思うからこそ、
答えを過去に求め続けるのは得策ではない。
悩んだら、今の自分が答えれば良いと思う。
 
勿論、「成長」も大事だと思う。

ただ、縛られすぎると視野が狭くなり、
日々の素敵なことを見逃してしまいそう。
 
自分が見たことや感じたことを、そのまま記す。
そこに価値観や考え方は存在しない。
存在しないことが、しなやかな生き方なんじゃないかと思う。

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