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頑張って共感する人などいない

共感という言葉の意味が
僕の中で曖昧なのだ。
 
とりあえず頑張るような
ものではない気がするのだ。
 
今回は共感という言葉を
自分の言葉で整理したい。


頑張って共感する人などいない

誰かが何かを講義する。

感想:頑張って、理解しました。

粘り強く考え続けて
腹落ちさせたのが
まだ伝わる。

感想:頑張って、共感しました。

これは見たことがない。
 
「頑張る」と「共感する」の
相容れない感は相当である。
 
自然に発揮される能力なのだろう。
現時点で出来なければ、出来ないのであろう。
瞬間的な努力で共感は出来ない。と思うのだ。

じゃあ、共感力の高い人ってのは、何だろう?
 
偏見は大いに含むが、整理してみる。

まず、共感の定義としては
 
他人の気持ちや感じ方に
自分を同調させる資質や力

 
らしい。これを元に考えていきたいと思った。

共感力の高い人が持つ能力


共感力が高いと思う人の特徴を並べてみる。

受け止める能力

他人の意見をバッサリ切り捨てる人間に
共感力の高い人間はいないと思う。
 
共感力のある人は受け止めることが
他者と関わる前提となっている気がするのだ。
 
そのまま、受け止めて、同意することもある。
 
ただ、共感力が高い。=意見をしない。
ではないと思う。
 
少なくとも共感力を持った人間は
考えを述べる前にワンクッションを置く。
 
「そうだね、理解出来るよ。ただ、僕はこう思うんだよ。〜」
 
研修みたいであるが
受け止める能力は前提だと思う。

感情描写を広げる能力

感情描写の幅は、共感力の源泉だ。
 
時に、社会、学校生活や家庭でのストレスも含め、
他の人が拾わない感情や考えを抱えてしまう。
 
外界に合わせる・合わせないは別として
抱えたこと全てが源泉となり
描写の幅が勝手に広がる。
 
よく語られるのは、
ストレスなどマイナスの点であるが、
実は無意識にポジティブな点も拾っている。
 
例えば、自身が快適に思う空間や、
生活のルーティーンが該当する。
 
僕の妹は、よく社会に怒っている。
 
何故か、彼女がいつも座っている椅子に
僕が座ると、退いて。と怒られてしまう。
 
小さなストレスと小さな幸せを拾い続ける。
 
大海原のように広い感情描写の幅は
共感出来る範囲の幅にも繋がるのでは
ないかと考えている。だから源泉。

感情リンク能力

自身の感情描写から他人の考えにリンクさせ
同じ考えに行き着くことが共感することだと思う。

 
基本的に人間はそれぞれ人生を生きているし
同じものを見て同じ感情を抱いて
生きていた人間はいない。
 
それでも、自身の感情描写の一部を切り取り、
膨らませることで、他者の感情とリンクさせる。
 
「共感しました。」と言われる。
 
「具体的に何で?」と聞いても、
 
曖昧な答えが返ってくる場合もあると思う。
 
それは、無意識に感情描写を切り取り、
膨らませ、共感したからである。
 
だから、共感力全てを言語化するのは難しく
また理解されない部分もあるのではと思う。
 
共感力の高い人。
 
1.  受け止める能力
2.  感情描写の幅を広げる能力
3.  感情をリンクさせる能力
 
この三要素を無意識に自然と発揮出来る人は
物凄く特殊で味わい深いなと思う。普通に天性。


共感力を高める方法

僕なりに共感力を高める方法が3つだ。
 
1. 受け止めるマインドセットを持つ。
 
前提である。否定は共感の幅を一気に狭くする。
 
まずは、ワンクッションを置く言葉を
意識的に置くことでも良いのではと思う。
 
2. 感情描写の幅を広げていく。
 
その為に、自身の感情や考えを機敏に感じる
意識を持ち、忘れるのであれば何かに書く。
 
NOTEでも日記でも何でも良いと思う。
 
3. 感情を引き出しを身体に覚え込ませる。
 
元々、共感性が高い人は
感情の引き出しが上手。自動的に引き出す。
ただ、全員がそうではないとと思う。
 
だから人の話を、受け止めて
自身の感情描写と重ねて
同じ感情に行き着くまで
考えるトレーニングが必要だと思う。
 
話はその日に共感しなくても良い。
自身のペースで噛み砕いていくのだ。

これが、自然と他者の感情に
リンクすることに繋がると思う。
 
以上だ。机上の空論であることは、申し訳ない。


共感力は何で必要?


共感力って、何で必要なのかな?と考えると、
社会は他者との協働で
成りなっているからだと思う。
 
共感されると人は嬉しい。
人間の変わらない性ではないか。
 
また、自身に不幸を呼び込まない手段でもある。
 
自身の家族との対話が疎かに成り
共感が不足してきた瞬間に
亀裂が生じ始める。
 
共感力が不足すると、
亀裂すら感じ取れない。
 
社会では、〜ハラやら忙しい。
 
完全に偏見であるが、罰せられるのは、
共感力が乏しい人間だと思う。
他人の立場に立てないから。
 
社会で生き続ける為に必要な能力だと思う。
 
かといって、それが全てでもない。
だから、難しいのだ、色々と。

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