さみしさを感じられるようになって久しい 悲しめるようになってまだ日が浅い

じねん自然

さみしい──耳にするたび、目にするたび、「?」だった。

四半世紀以上前、いとこが結婚するね、と電話をくれたとき、いろんな話をした中でこんなやり取りがあった。
わたしは結婚しない、とか、しないと思う、とか話した。
「ずっと独りでさみしくないの?」といとこ。
この質問のお陰で自分の状態が判然した。
わたしのこころの中ではわたしを責め立てる声が、がなりたてる街宣車が、わたしへのヘイトスピーチが喚き立てていて、ほとんど一時もわたしを休ませていなかった。わたしのこころは焦土で、安心して眠れる場所はどこにもなかった。
独りになりたい!
静かになりたい!
独りで静かって、どんな感じなんだろう?!

「こころの傷は必ず癒える」を読んで、意識的に生きる、と決意した。

さみしい──さみしい──気がついたらさみしさを感じていた。

子どものころの不思議な誓いの意味が解った。
うつろなこころでぼんやりしていた子どもにの頭にある考えが閃いた──
大人になったら(わたしみたいな人たちを)だっこしてあげるんだ!
だっこしてあげたい人はたくさんたくさんいるようだった。
素晴らしい思いつきに、わくわくした。

なんだ! さみしかったのは自分じゃないか!
わたし、そんなにさみしかったんだ!

静謐を感じたとき、これはなんだろうと思った。
静かで、どこまでも静かで、ゆたかで、足りないものも多すぎるものもない──つながっている──これは静謐と呼ばれるものじゃないか?

静謐はわたしで、わたしは静謐だった。


⒈じねん自然  ⒉なんにでも時がある  ⒊見る ということ
⒋あり得たかもしれない人生  ⒌ぞうさん
⒍何度もわたしの前に現れたふたり

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