一教師が幸せな家庭生活を送ること
我々の研究室では、「教師が幸せな家庭をつくる」をテーマに本の製作に取り掛かっています。
日本の教員はブラックだと言われます。
しかし、教員が結婚するパートナーも教員である場合も多く聞きます。
部活動に心血を注ぎ家庭を顧みない教員もよく聞きます。
仮に部活動をもっていなくても教員は忙しいです。
教員は聖職であると言われます。
聖職なのだから、24時間教員であるべきと主張する方もいます。
では、教員は、自分のプライベートを投げ打ってでも、仕事に邁進するべきなのでしょうか。
私はそうは思いません。
もちろん、仕事に邁進するのが楽しくて自分の人生を実感できるのであれば、それも素敵な人生でしょう。
部活動に燃える教師、正直かっこいいです。その熱量は子どもたちのやる気に火をつけます。
教材研究に心血注ぐ教師の授業で醸し出される雰囲気は、子どもたちを深い学びに誘うでしょう。
ただ、そのような身を削るような仕事の仕方を美徳と感じない教員、さまざまな事情でそうすることができない教員もいます。
教師は「やりがい」のある仕事です。
しかし、その「やりがい」だけを強調する論調は嫌悪感を抱きます。
「やりがい」だけで教師になりたいという若者は増えるのでしょうか。
現に、教員採用の倍率は低下する一途を辿っています。病休に入る教員も増えています。
教員であるからこそ、自分の人生の美徳を大切にするべきなのではないでしょうか。
教師こそ幸せであるべき
教員という多くの子どもたちの前ことはに立つ仕事である以上、
目の前の教師が幸せであることは、大きな意味をもつと感じます。
目の前の大人、教師が幸せそうにしている、だからこそ子どもたちは、「あぁ大人も悪くないな。早く大人になりたいな。」と思えるのではないでしょうか。
目の前の大人、教師が仕事に追われ余裕がない、元気がない、怯えている。そんな状況で、子どもたちは未来に希望など抱くのでしょうか。
目の前の大人が笑顔でご機嫌でいる
これに勝る教育効果があるでしょうか。
さまざまな教育実践が溢れかえっています。
ICTを駆使しようが、PBLを仕組もうが、目の前の教師の生気がなければ何の効果もなさないでしょう。むしろ逆効果にさえなるかもしれません。
家庭を大切にする。
それも一教師として立派な姿ではないでしょうか。
家庭のために、遅くまで残らずに早く帰る教員は学校のお荷物でしょうか。
教師が毎日、幸せそうに子どもの話をする、旦那や奥さんの話をする。
もちろん度がすぎてはいけませんが、その人が幸せであることを語ること、そんな雰囲気を醸し出していくことは大きな教育価値と考えます。
世の中の先生方が、堂々と自分の望む人生を歩むことができる、これから教師になろうとする若者が希望がもてる、そんな一助になる本をつくりたいと思います。
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