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『鉄砲玉の美学』:1973、日本

 23歳の小池清は大阪の暴力団、天佑会のチンピラである。彼はウサギの販売で稼ごうとするが上手く行かず、麻雀でもボロ負けする。清は情婦・よし子の家に居候しており、ほとんど彼女の稼ぎで生活している。よし子がウサギにエサを与えて大きくしたのを怒った清は、彼女に暴力を振るう。バーで酒を飲むが、そんなことで気は晴れない。

 天佑会は九州へ進出する足掛かりとして、鉄砲玉を宮崎へ飛ばすことにした。鉄砲玉に拳銃で地元ヤクザとトラブルを起こさせ、それを理由にして乗り込もうという作戦だ。鉄砲玉に選ばれた清は拳銃一丁と100万円を渡され、九州へと向かった。

 宮崎に入った清は、南九会が仕切っている店で難癖を付けて騒ぎを起こそうとする。しかし幹部の杉町は抗争になることを危惧し、手出しをしないよう手下に命じた。清は金を使って遊び回り、アケミやミドリといった複数の女と関係を持って楽しんだ。

 清は南九会のチンピラに命を狙われるが、返り討ちに遭わせた。杉町は清の目の前でチンピラに制裁を加え、「こいつを好きにしてください。その代わり、大阪には内緒にしておいてください」と頼む。それだけでなく、杉町は自分の情婦・潤子まで差し出した。

 清は潤子を激しく抱き、自分の女にした。2人は宮崎を離れ、楽しく過ごす。24歳の誕生日を迎えた日、彼は潤子を連れて桐島へ出掛けようとしていた。だが、部屋に戻った時、潤子は「急用で宮崎へ帰ります」と置き手紙を残して姿を消していた。

 清は知らなかったが、南九会は関西連合会の協力を取り付けていた。後ろ盾を得た南九会にとって、既に清は怖い存在では無くなっていた。さらに連合会との抗争を避けたい天佑会は、手打ちを決めていた。浮かれていた清も、ようやく全てを知った…。

 監督は中島貞夫、脚本は野上龍雄、企画は天尾完次、撮影は増田敏雄、編集は市田勇、録音は格畑学、照明は金子凱美、音楽は頭脳警察、音楽監修は荒木一郎。

 出演は渡瀬恒彦、杉本美樹、小池朝雄、荒木一郎、碧川ジュン、森みつる、望月節子、城恵美、松井康子、大木正司、西田良、川谷拓三、広瀬義宣、松本泰郎、渡辺憲俉、小沢正博、新田勝子、柳田盛任、片桐竜次ら。
声の出演は遠藤辰雄(遠藤太津朗)、千葉敏郎、波多野博、大月正太郎、斎藤寿也。

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 東映の任侠映画を手掛けていたスタッフが、ATG(アート・シアター・ギルド)に出張して撮った作品。
 清を渡瀬恒彦、潤子を杉本美樹、杉町を小池朝雄、清を付け狙うチンピラを川谷拓三が演じている。
 姿は見せないが、天佑会の会長の声は遠藤辰雄だ。

 ATGといえばアーティスティックな作品を手掛けているイメージが強く、この作品のように娯楽性の強いアクション映画というのは珍しいと思う。
 ATGで作るということは当然、東映よりも遥かに予算は少ないわけだが、それでも東映と同じような作品を作ることが出来ているということには、かなりの意味があると言ってもいいだろう。

 この映画を当時の東映で作ることが出来たのかと考えると、たぶん難しかっただろう(だからこそATGで作っているわけだが)。
 頭脳警察の歌を使っている時点で、アウトのような気がする。しかし「ふざけるんじゃねえよ、てめえの善人面を、ふざけるんじゃねえよ、いつかぶっとばしてやる」という歌は、雰囲気作りに大きく貢献している。

 今となってしまえば、愚かな現代ヤクザの破滅までを描く作品というのは珍しくないだろう。しかし重要なのは、この作品が『仁義なき戦い』と同時期に作られているということだ。この映画は、当時の東映仁侠映画ヘのアンチテーゼになっているのだ。
 当時の東映仁侠映画というのは、もっと限定すれば実録路線を始める以前の、鶴田浩二や高倉健の主演映画ということだ。
 そこには、ヤクザの様式美があった。任侠に生きる男の美学があった。

 しかし、この映画ではタイトルに反して、鉄砲玉となった清に何の美学も無いのだ。
 一宿一飯の恩義で親しい者を斬らねばならぬ苦悩や葛藤、友のために命を張ろうとする男気、か弱き女を守ってやろうとする優しさ、組織のために犠牲を買って出る男の悲哀、そういった「ヤクザのカッコ良さ」を、この作品は全て排除している。

 のっけから、清はウサギの販売が上手く行かず、麻雀でボロ負けしたのにゴネて逆ギレし、女に金をせびり、怒鳴り付けて暴力を振るう。冴えない、情けない、何の価値も無い男だ。
 仁侠映画の悪役が持っていた、ワルとしての最低限の美学さえ、彼には無い。

 大金とハジキを持った清は、まるで自分が偉くなったかのように調子に乗る。しかし肝っ玉は小さいので、ボーイがホテルの部屋をノックしただけでビクビクしてしまう。何の覚悟も無いので、自分がハジキで撃たれることを妄想し、泣き出してしまう。
 南九会が自分にペコペコするのを見て、いい女をモノにして、清は天下を最高の気分に浸る。栄光を手に入れたと感じ、惨めな日々との決別を確信する。
 だから前半はハジキで撃たれることを妄想した清が、後半はハジキを撃つシーンを妄想している。

 南九会は清を怖がっているのではなく天佑会を怖がっているのだが、清は自分が虎の威を借る狐になっていることに気付かない。「鉄砲玉ってのは敵をハジいてハジかれてナンボ」ということさえ完全に忘れ、天狗になる。そして気付かないまま、やがて裸の王様になる。
 裸の王様になった時には、もう残されたのは破滅の道だけだ。

 その最後に残された道も、南九会との関係で破滅するのではない。女を連れ出そうとして抵抗され、警察に発砲して反撃を食らい、泣き出してしまうという有り様だ。
 どうしようもなく無様なのである。とにかく徹底して、最後までカッコ悪い男のまま死んで行くのだ。
 この映画は、「かっこいい仁侠映画」の世界を、完全にブチ壊そうとしている。

(観賞日:2005年2月9日)

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