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『恋する女たち』:1986、日本

 金沢第一高校2年生の吉岡多佳子は、クラスメイトである江波緑子の葬儀に喪服で参列する。緑子は本当に死んだわけではなく、本人で弔辞を読んだ。多佳子と親友の志摩汀子は、そんな彼女の言葉を軽く笑った。緑子は腹を立て、今日は片想いしていた教育実習生のタツオの結婚式だと明かす。
 「本当に友情の薄い友達なんだから」と彼女が文句を言うと、多佳子は「友情の薄い友達が、2度も死んだ人間の葬儀に付き合いますか?」と呆れたように反論した。1度目の葬儀は、体育の授業で調子に乗って足を開き、ショートパンツが破れた時だ。2度目の葬儀は、期末試験で5教科も赤点を取って両親が呼び出された時だ。

 緑子は多佳子と汀子に付き合ってもらい、3本目の十字架を墓地に立てた。汀子は母の汀香が営む食堂へ開店前に多佳子を連れて行き、ビールとつまみを出した。「惚れてる男っている?」と彼女が訊くと、多佳子は狼狽した。汀子が「私はいるよ」と告げると、多佳子は驚いた。「恋愛に我関せずって顔してる」と汀子に指摘され、彼女は憤慨した。
 多佳子が映画館で『ナインハーフ』を観賞して出て来ると、『ナイン』を見終わったクラスメイトで野球部員の沓掛勝が声を掛けて来た。彼が「こういう映画見るんか」とニヤニヤすると、多佳子は慌てて取り繕った。勝の態度に、彼女は声を荒らげた。以前から知らない内に、多佳子は勝を目で追い掛けていた。しかし勝が自分に全く気が無いことも、彼女は理解していた。

 多佳子の実家は白山の温泉旅館で、父は県会議員を目指す石川県旅館協会の会長だ。いつも父はあちこちを飛び回っており、本業は放置している。多佳子と姉の比呂子は、案内センターの2階にタダ同然で下宿している。比呂子は教育大学の4年生で、両親に頼まれて旅館を継ぐことが決まっている。
 「最近、やたらと視線を感じるんだよね。密かに惚れられてるんじゃないかなあ」と多佳子が言うと、比呂子は視線恐怖症について冷静に解説した。しかし多佳子も比呂子も気付いていなかったが、下宿を密かに見つめている男がいた。

 翌日、学校でサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた多佳子は、絵ばかり描いて留年した元同級生の大江絹子が覗いていることに気付いた。絹子が『ナインハーフ』を見ていたことを指摘したので、多佳子は勝が話したのと焦った。
 すると絹子は、後ろの席で自分も見ていたことを教えた。絹子は「今度さ、アンタの裸描かせてよ」と言い、銭湯で裸を見たことがあると明かす。多佳子は動揺するが、絹子は何食わぬ顔だった。

 汀子は多佳子に「彼氏に会わせる」と告げ、これは色恋沙汰に縁の無い生活を送っていることに対する復讐なのだと説明した。彼女の恋人である小林博史の実家は、九谷焼の窯元だった。小林がヒット曲を幾つも手掛けた人気作詞家だと知り、多佳子は興奮した。
 すると小林は本当は短歌の人間であること、女性のことが分からないから作詞活動から手を引いたことを語った。汀子は多佳子に、いずれ小林が再び東京へ行ってしまうのではないかと心配していることを打ち明けた。

 汀子が開店前の食堂で多佳子と話していると、母と離婚している父の御子柴敏雄が訪ねて来た。敏雄は金沢大学の文学部で、ロシア文学の助教授を務めている。ツルゲーネフの作品集を取りに来たと敏雄父が言うので、汀子は書斎へ取りに行った。汀香が店に来たので、汀子は鉢合わせしないよう敏雄を隠れさせた。彼女は多佳子に協力してもらい、汀香に気付かれないよう敏雄を逃がした。
 帰宅した多佳子は部屋を覗いている男に気付き、厳しい態度で詰め寄る。窓から顔を出した比呂子が「神崎くん?」と言うと、男は走り去った。比呂子は多佳子に、その男は家庭教師をしていた時の教え子である高校1年生の神崎基志だと教えた。基志が父と2人暮らしだと聞いた多佳子は、彼の母を求める気持ちが比呂子への恋心になったのだろうと推測した。

 基志は学校で多佳子を頻繁に見つめ、それは生徒たちの間で噂になった。多佳子は図書室で緑子といる時、基志が見ていると知らされる。多佳子は基志に歩み寄り、「姉の代わりなんて御免よ」と鋭く告げた。絹子は同級生になった基志を知っており、多佳子に「見つめられてあげなさいよ。恋するだけじゃなくて、恋されることも必要よ」と説いた。
 多佳子は基志を誘って野球場へ行き、勝の出場する試合を観戦した。観客席には可奈という他校の生徒がいて、友人たちとの会話を耳にした多佳子は彼女が勝が目当てで来ていると知った。

 勝は活躍できず、試合は大敗に終わった。試合後、多佳子が勝の元へ行こうとすると、可奈と友人たちが彼に話し掛けていた。多佳子は勝の傷を見つけ、ハンカチを渡した。勝が可奈たちと去った後、基志は多佳子に「好きなんじゃないの?」と問い掛けた。多佳子は狼狽して誤魔化すが、勝への恋心をハッキリと自覚した。
 下宿に戻った彼女は、髪を切った。久々に帰郷した彼女は、幼馴染のエリナと遭遇した。多佳子はエリナから、幼い頃に子分だったアキ坊が暴走族のサブヘッドになっていることを聞かされた。

 実家の松崎旅館に戻った多佳子は、両親が市外へ出掛けている間に温泉を楽しんだ。彼女は基志からの電話を受け、「話したいことがあるから行ってもいいかな?」と言われる。多佳子は夜になってから金沢へ飲み出掛けることを話し、「君も来る?」と誘う。
 彼女はエリナや暴走族の面々と合流し、待ち合わせ場所で基志と会う。ディスコに入った多佳子は、基志から好きだと告白されて戸惑う。その直後、店の「姫」と呼ばれる常連が踊り出し、若者たちが盛り上がる。その姫が緑子だと知って、多佳子は、驚いた。

 深夜、多佳子が下宿にいると、悪酔いした汀子が押し掛けて来た。汀子は博史から東京へ行くと告げられたことを明かし、一緒に来ないかと誘われなかったことへの不満を吐露した。多佳子は緑子のことも含めて苛立ちを覚え、「アンタたちは思いを持て余しているだけじゃないの」と告げた。すると汀子は、「アンタも髪切ったじゃないの」と指摘した。
 次の日、多佳子は絹子を呼び出し、緑子と汀子について「愚かしいわよ。たかが恋なのにさ」と言う。絹子が「恋路に走ったお友達に置いていかれるのが怖いだけじゃないの?」と語ると、図星を突かれた多佳子は露骨に動揺した。

 美術館に出掛けた多佳子は、勝に誘われて喫茶店へ赴いた。勝から可奈との倦怠期について相談された彼女は、友達としか見られていない寂しさを感じた。多佳子は博史の元へ行き、自分が作った恋の短歌を見てもらう。彼女は報われない恋について涙で語り、キスを求めた。
 すんでのところで思い留まった博史は、「どうしたの、急に?」と尋ねる。多佳子が「復讐。私や汀子を子供扱いした。私たちは未熟かもしれません。それでも人を思う気持ちは変わらないと思います」と話すと、彼は「ありがとう」と告げた。

 多佳子は比呂子に頼まれ、大学の卒業謝恩ダンス・パーティーの手伝いに出向いた。「お見合いして温泉旅館の女将なんて似合わない」と多佳子が言うと、比呂子は「そう言ってくださるな。長女には長女の論理があるんだ」と話す。比呂子が去った後、多佳子は姉の残した煙草を手に取った。
 多佳子が会場のクレープ屋台を手伝っていると、緑子が大学生の彼氏と遊びに来た。手伝いを終えた多佳子は夜の街に出て、煙草を吸う。彼女は勝が可奈と揉めている姿を目撃し、涙をこぼした…。

 監督は大森一樹、原作は氷室冴子(集英社コバルト文庫シリーズ)、脚本は大森一樹、製作は富山省吾、協力製作は市村朝一、撮影は宝田武久、美術は村木与四郎、録音は宮内一男、照明は大澤暉男、編集は池田美千子、音楽は かしぶち哲郎、主題歌『MAY』は斉藤由貴。

 出演は斉藤由貴、高井麻巳子、相楽ハル子(相楽晴子)、柳葉敏郎、星由里子、蟹江敬三、川津祐介、小林聡美、菅原薫、原田貴和子、上田耕一、吉満涼太(現・吉満寛人)、泉本教子、上田由紀、大川陽子、室井滋、中村育二、渡辺祐子、坂井徹ら。

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 氷室冴子の同名小説を基にした作品。監督&脚本は『オレンジロード急行』『ヒポクラテスたち』の大森一樹。多佳子を演じた斉藤由貴は、『雪の断章 -情熱-』に続く2本目の主演作。
 緑子を高井麻巳子、汀子を相楽ハル子(相楽晴子)、勝を柳葉敏郎、汀香を星由里子、敏雄を蟹江敬三、剛志を川津祐介、絹子を小林聡美、基志を菅原薫、比呂子を原田貴和子、松崎旅館の番頭を上田耕一、国語教師を室井滋が演じている。緑子の彼氏を演じている吉満涼太(現・吉満寛人)は、これが役者デビュー作。

 第3回ミスマガジンでグランプリに選ばれて芸能界にデビューした斉藤由貴は、TVドラマ『スケバン刑事』の主演で一気にブレイクした。そんな彼女を主演に起用した本作品は、もちろんアイドル映画である。
 ついでに触れておくと、高井麻巳子は当時、おニャン子クラブのメンバー。相楽晴子は『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』に出演して知名度を高め、やはりアイドルとして活動していた。メインの3人は、全員がアイドルだったのだ。

 1980年代は、自主映画出身の若手監督が商業映画デビューで注目を集めた後、アイドル映画を任されるケースが多かった。例えば井筒和幸は1981年の『ガキ帝国』がヒットし、1983年に『みゆき』を監督した。森田芳光は1981年の『の・ようなもの』で注目を集め、翌年には『シブがき隊 ボーイズ&ガールズ』を撮った。大林宣彦は『HOUSE』で商業映画デビューし、角川春樹の要請で『ねらわれた学園』を監督した。
 大森一樹の場合、1980年の『ヒポクラテスたち』で評価された後、1984年から1986年に掛けて吉川晃司が主演する3部作を手掛けている。それを経ての、この映画だ。

 始まってから10分ぐらい経った時点で、ちょっとニヤニヤしてしまった。キャラクター設定、台詞やモノローグ、漂う雰囲気、何から何まで、「いかにも1980年代だなあ」ってのを色濃く感じさせてくれたからだ。もっと絞り込むなら、「いかにも1980年代のアイドル映画」ってことになるかな。
 例えば、ショックな出来事があると、真面目に葬儀を執り行うという設定。もちろん映画オリジナルではなく、それは原作にもある設定だ。ただ、そもそも原作からして、「ザ・1980年代」って感じだからね。何しろ氷室冴子だし、そして今は無き集英社のコバルト文庫だしね。

 汀子が多佳子を「おたか」「おたかさん」と呼ぶとか、多佳子が「のたまう」と言うとか、そういう言葉遣いも1980年代っぽい。「もっと深い絶望なの。女の一生を根底から覆すようなね」とか、「アンタらが失恋した日は、両手に日の丸の旗を振ってフレンチカンカン倒れるまで踊ってやる」とか、そういう台詞も1980年代っぽい。
 何かと文学的だったり、インテリっぽさがあったりするんだよね。そもそも、劇中でもサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』やツルゲーネフの作品集、短歌といった文学作品が色々と出て来るしね。

 色恋沙汰に縁が無いことを「人畜無害」と批判したり、彼氏を紹介することを「復讐」と評したりする感覚も、1980年代っぽい。ちょっと風変わりであること、尖っていることが求められ、好意的に評価された時代だったのだ。
 今の時代なら、もっと日常的で簡単な言葉を使うだろう。でも、当時は「いかにも用意された言葉でござい」みたいな表現が、良く使われていた。今の感覚だと気恥ずかしいかもしれないが、当時はそれが「オシャレで都会的な映画」という印象だったのだ。

 当然のことではあるが、メインのアイドル3名は演技経験が乏しいので、お世辞にも芝居が上手いとは言えない。しかし、芝居っ気の強い台詞回しが拙い芝居と組み合わさることによって、独特の味わいが醸し出され、「これはこれで悪くないのかな」と思わされる。
 ひょっとすると、そこには「昔は良かったね」というノスタルジーが影響している部分もあるのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、結果的にプラス評価に繋がっているのなら、それはそれで悪くないんじゃないかな。

 アイドル映画なので、極端なことを言っちゃうと、アイドルが可愛ければ一応の目的は達成できているってことになる。そして、この映画における斉藤由貴は、ちゃんと可愛い。
 もちろん当時の斉藤由貴が素材として素晴らしかったってことはあるだろうが、それでも演出次第では魅力を充分にアピールできないことだってあるからね。その点、大森一樹はキッチリと仕事をこなしている。そんなわけで、斉藤由貴を可愛く撮っているってだけで充分っちゃあ充分じゃないかな。

(観賞日:2021年1月10日)

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