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『アイダよ、何処へ?』:2020、ボスニア・ヘルツェゴビナ

 1995年7月、ボスニアのスレブレニツァ。市長がオランダ大隊のカレマンス大佐とフランケン少佐と会議で対面する際、元教師のアイダは通訳として同席した。
 フランケンが「手は尽くしてる。午前6時に撤退しない場合、NATOが彼らの拠点を空爆する」と説明すると、市長は「国連はいつもそれだ。スルプスカ共和国軍に攻撃された時も、2日前に街が包囲された時も同じ」と厳しく批判し、NATOが侵攻は無いと言っていたことを指摘した。

 カレマンスは戦闘機が待機中だと言い、住民は避難しなくても大丈夫だと告げた。「空爆が無かったら貴方の責任だ」と市長が告げると、彼は「私はピアノ弾きだ」と言う。それは「ただの伝令に過ぎない」という意味であり、市長は強い怒りを示した。
 スルプスカ共和国は街に侵攻し、下士官のヨーカは市長の射殺を命じた。住民は国連軍の基地に避難し、仕事を手伝っていたアイダは家族が来ないことを心配する。ようやく次男のセヨだけが来て、自分の後ろでオランダ兵がゲートを閉めたことをアイダに話した。

 外に出たアイダは、夫のニハドと長男のハムディヤを発見した。アイダはオランダ兵に2人を入れてほしいと頼むが、「皆が入りたがる。基地は満杯だ」と断られた。ルプスカ共和国軍のムラディッチ将軍は取材クルーを引き連れて街に入り、国連軍に対して交渉を要求した。
 フランケンが民間人の交渉役を募ると、誰も名乗りを挙げなかった。「森に逃げたムハレムが適任だ。会社の元重役だ」という声が上がり、フランケンは1人目の交渉役をムハレムに決定した。

 他に2人の交渉役が欲しいと考えたフランケンに、アイダは「夫は元校長でドイツ語が話せる。彼が行くから家族を中に入れて」と頼む。他に志願者が現れなかったので、フランケンはアイダの要求を受け入れた。アイダは知り合いのバホが産気付いたので、出産を手伝った。
 カレマンスは何度も空爆を要請する電話を本部に掛けるが、話の通じる相手は誰もいなかった。彼は部下たちの前で、「本部は弱腰だ。皆が知らん顔をして対処せず、私に押し付ける」と不満を漏らした。

 交渉はホテルで行われ、ニハドとムハレムの他にムラディッチの側近と学友だったチャミラも交渉役として同席した。国連のタリクが通訳を担当するため、アイダは同席できなかった。ムラディッチは「市民が協力すれば殺さない」と言い、全員の武装解除を要求した。
 彼は「この地を出たければバスを用意する」と告げ、「国連軍が同乗し、避難計画を立てる」というカレマンスの条件を受諾した。ヨーカが部隊を率いて基地に現れ、ムスリムがいないか確認させるよう迫った。フランケンは「武装した者は国連施設に入れない」と話すが、連絡を受けたカレマンスが許可を出した。

 ヨーカは避難民が食料に困っていると知り、パンを配給した。アイダは隙を見て息子2人を連れ出し、軍事監視員の部屋へ隠れさせる。監視隊のペーターは難色を示すが、アイダは説得して受け入れてもらった。
 戻って来たニハドが「安全な場所に避難する」とアイダに言うと、チャミラは「あんな茶番を誰が信じるの」と苛立ちを示した。ニハドが「交渉しただろ」と告げると、彼女は「どこが交渉なの。全て決まってるの」と口にした。

 共和国軍は「女子供を先に避難させる」と言い、男を別のバスに乗せた。カレマンスが「我々が同乗するはずでは?行くか残るかも選べるはず。それに避難計画も決まっていない」と抗議すると、ムラディッチは「計画を出せ」と要求した。
 カレマンスが「そんなに早くは無理だ」と告げると、ムラディッチは「乗りたければ乗ればいい。誰も止めない」と言い放った。カレマンスは基地に引っ込み、市民をバスに乗せる作業は続行された。

 アイダは「市民が処刑された。死体を見た兵士がカレマンスに報告した」という情報を聞き、カレマンスの元へ確認に向かう。カレマンスは部屋に閉じ籠もり、「私に構うな。少佐に聞け」と突っぱねた。フランケンはアイダから国連本部に連絡するよう求められ、「これ以上の面倒を掛けるな。私は忙しい」と声を荒らげた。
 フランケンは基地の中にいる市民に対し、「外の人たちの避難は完了した。次は君たちだ」と呼び掛けた。危険を感じたアイダだが、そのまま通訳するようフランケンから命じられた。

 アイダはオランダ軍と一緒に避難するメンバーのリスト作成が始まったと知り、自分だけでなく家族も載せてもらおうとする。彼女は担当の職員に頼んで、リストに家族の名前も加えてもらった。しかし密に家族のIDを作ろうとしている間、名前はリストから削除された。
 アイダがフランケンに詰め寄ると、「不正をすれば国連のIDが信頼を失う。職員を危険に晒す」と告げられた。何とか家族を逃がそうとアイダは奔走するが、上手く行かない。ひとまず家族を隠れさせたアイダだが、すぐに見つかってしまった…。

 脚本&監督はヤスミラ・ジュバニッチ、製作はダミル・イブラヒモビッチ&ヤスミラ・ジュバニッチ、製作総指揮はネドザド・セルケス・ベレーザ、マイク・グッドリッジ&ネザト・チェルケス・ベレッザ、共同製作はブルーノ・ワグナー&バーバラ・アルバート&アントニン・スヴォボダ&クリスティアン・ニコレスク&エルス・ヴァンデヴォースト&ロマン・ポール&ゲルハルト・メイクスナー&エヴァ・プシュチンスカ&ニコラス・エシュバッハ&エリック・ネーヴェ&イングン・サンデリン&エリック・ヴォーゲル&イブラヒム・エレン&マルゴー・ジューヴィナル&サイモン・ガブリエル、撮影はクリスティーネ・A・マイアー、美術はハンネ・サラ、編集はヤロスワフ・カミンスキ、衣装はマウゴザータ・カルピウク&エレン・レンス、音楽はアントニー・ラザルキーヴィッツ。

 出演はヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ、ボリス・レアー、ディーノ・バイロヴィッチ、ヨハン・ヘルデンベルグ、レイモント・ティリ、ボリス・イサコヴィッチ、エミール・ハジハフィズベゴヴィッチ、レイナウト・ブッスマーカー、トゥーン・ルイクス、ユダ・ゴスリンガ、イェレナ・コルディッチ=クレット、アウバン・ウカイ、エルミン・ブラヴォ、エディタ・マロヴチッチ、ミシャ・フルショフ、ジョーズ・ブラウアーズ、ソル・ヴィンケン、サンネ・デン・ハートフ、ジョブ・ラーイメイカーズ、イリーナ・メルセル、リヤド・グヴォズデン、ササ・オルセヴィッチ他。

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 『サラエボの花』『サラエボ、希望の街角』のヤスミラ・ジュバニッチが脚本&監督を務めた作品。ボスニア紛争の最中に勃発した1995年のスレブレニツァの虐殺を題材にしている。インディペンデント・スピリット賞の外国映画賞やロッテルダム国際映画祭の観客賞を受賞し、アカデミー賞の国際長編映画賞や英国アカデミー賞の監督賞にノミネートされた。
 アイダをヤスナ・ジュリチッチ、ニハドをイズディン・バイロヴィッチ、ハムディヤをボリス・レアー、セヨをディーノ・バイロヴィッチ、カレマンスをヨハン・ヘルデンベルグ、フランケンをレイモント・ティリ、ムラディッチをボリス・イサコヴィッチが演じている。

 序盤、会議のシーンでは「砲撃が毎秒3発撃ち込まれる。死者17名、負傷者57名が病院へ運ばれた。誰かスレブレニツァの悲劇を伝えてくれ」という無線の声が聞こえている。ただ単に状況を説明するための音声に聞こえるかもしれないが、ここに作品のメッセージがあるんじゃないかと感じる。
 それは「悲劇を伝えてくれ」という部分だ。ようするに、この映画は「悲劇を世界に伝えることが大切」と訴えようとしているんじゃないかと。

 アイダは他にも大勢の市民が基地に入れず困っている中で、家族だけを入れてもらおうとする。夫が交渉役になると言い、家族を入れてもらう。ヨーカの部隊が基地に乗り込むと、息子たちを密かに隠れさせる。そうやって家族だけを特別扱いし、助けようとする。
 身勝手な行為ではあるが、それを真正面から責めることは出来ない。あの状況で「家族だけでも助かってほしい」とエゴ剥き出しになるのは、仕方が無いだろう。そこで「家族だけ特別扱いは出来ない」と考えられるような人間など、ほとんどいないだろう。

 終盤に入っても、アイダは避難リストに自分の名前しか掲載されていないと知り、何とか家族も連れて行こうとする。それが不正行為だと分かっていても、偽造IDを作ろうとする。リストから家族の名前が消されると基地から離れることを拒否し、激しく抗議する。
 しかし何をやっても、所詮は何の持たない民間人の行動なので、実を結ぶことは無い。ハッピーエンドの娯楽映画のように、都合の良すぎる幸運がヒロインの窮地を救ってくれることなど無い。アイダは無力さに打ちのめされ、家族を殺される。

 市長が怒りで批判するように、国連は何度も約束を破り、まるで役に立っていない。爆撃するという約束も、延期するどころか結局は遂行しないままだ。スルプスカ共和国軍が侵攻すると、それに対抗する行動は何もとらないまま、現地の国連軍を脱出させる。頬かむりをして逃げ出すのだ。
 国連本部は何の指示も出さずに知らん顔を続け、現地の国連軍もスルプスカ共和国軍に対して有効な手を何も打てない。そして事態は悪化し、ついにはスレブレニツァの虐殺が起きるのだ。

 カレマンスは規則を曲げてまで、武装した連中を基地に入れている。それが避難民を危険に晒す行為だと分かっていても、共和国軍の圧力に屈することしか出来ないのだ。そしてアイダが抗議に行くと、ついには指揮官としての仕事さえ放棄してしまう。
 そもそも国連にとってボスニア紛争は自分たちの問題ではなく、他人事に過ぎない。面倒な問題を押し付けられ、仕方なく行動を取っているだけなのだ。だから共和国軍が強硬な手段に出たら、厄介ごとを避けて保身に走るのだ。

 では国連軍を最低で酷い連中だと断罪すべきなのかというと、そうとも言えない。国連なんて所詮、その程度の力しか持たないというのが現実なのだ。国連は本来なら世界の紛争を解決するために機能すべきだが、そんな力を持たない存在になっている。紛争や戦争に対して、国連はあまりに貧弱な組織なのだ。
 そしてアイダたちの身に起きた問題に関しては、「悲しいけど、これ、紛争なのよね」ってことなのだ。白馬の騎士が来てくれるような、おとぎ話のようなことは起きない。自分たちで身を守れなければ、死が待っているのは必然という残酷な現実を受け入れるしか無いのだ。

(観賞日:2023年10月25日)

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